Act13 生きる為に


全てを補給に頼るしかない宇宙での航海において、水不足は深刻な問題だった。 もちろん生活において必要なのもそうであるが、船を維持するにも水は不可欠である。 ましてや避難民を抱えた船で、水の不足による影響はますます顕著なものとなった。 足りない水をどうするか。 結論は現実の厳しさを突きつけるように残酷だった。 衝撃が駆け抜ける。 艦長であるマリュー・ラミアスの口から語られた事は、平和の中にいた学生達にどれ程ショックを 与えたかは語るに及ばない。明白すぎるほど明白であるからだ。 もう後戻りは出来ない戦争。 終わらない憎しみ。 世界を覆う悲しさ。 果てなどあるのか分からない、その繰り返しの一つの顛末が目の前に突きつけられる。 「私達は今、デブリベルトへ向かっています」 『デブリベルト』の言葉に、ブリッジが一気に緊迫した雰囲気に包まれる。 暗にそれが示すものは唯一であったからだ。 かつてはそこに、生きていた『命』があった。幸せが花を咲かせていた。 確かに、そこに居たのだ。自分たちと同じ、『人間』が。 だがもう、そこにかつての面影は無い。 何も命を感じる事が出来ない所に、自分たちはいるのか。 真空で、暗く、寒く、冷たい所に。 ―――――墓場に。 それが、少年達が抱いた思いだった。 静かにそこに立ったまま、少年たちは一様に顔を強張らせる。 窓に目をやれば、以前はユニウスセブンであった大陸が静かに漂っていた。 そこに眠るようにして凍る大量の水。だが彼らの目に映ったのは水ではなく、かつての傷をそのま まに残し漂うデブリの塊。 「ぁ・・・あそこの水を?」 「本気なんですか?」 民間人を含め、約24万人のコーディネイターが暮らしていたコロニー、ユニウスセブン。 そこは、凍り付いた大量の水が未だ存在している場所であるには違いない。 それは理解できるけれど、しかし心は追いつかない。 「水は、あれしか見つかっていないのよ」 「・・・ッ、でも! あそこは何十万の人が亡くなった所なんですよ!?」 「誰も喜んじゃいないさ。『水が見つかった!』ってな。俺だって出来ればあそこに踏み込みたく  ない。けどな、俺達は生きてるんだぜ?」 生きている。 あそこにいる、彼らとは違って。 重くてもやもやしたものが胸に生まれ、苦しくなる。 「って事は、生きなきゃならないって事だ!」 反論したい。でも出来ない。 少年達は何も言えずに押し黙った。 今のアークエンジェルに、水は必要だ。それは理解している。身に染みて分かりすぎる程に。 でも。 「何?」 キラはちらりとを見遣った。 は自身に送られてくる視線の持ち主に目を遣る。 「は……嫌じゃないの?」 「どうして?」 「どうして、って………」 キラは返された言葉に愕然と言葉を無くす。所在なさげに視線をうろうろと彷徨わせ、ついには目 を伏せ黙ってしまった。 は真っ直ぐにキラの目を捉える。 ああ、悲しそうだ。 辛そうな目をしている事がよく分かる。 口を噤むキラが言おうとした先の見えない言葉、訪ねたかった事を、求められているものが何なの かを分かってしまい、小さく息をつく。 「墓泥棒をする事に、私は反対しない」 紫の瞳がビクリと揺れた。 「だって、生きてるんでしょ? 私達。命が、あるんでしょ?」 ああ、反吐が出る。 どうしようもできない事実に、どこにもぶつけようのないドロドロとした感情が器から溢れて飛び 出そうと暴れる。 ここにいる誰もが悪くない。ただ、状況が悪い。それだけなのにその現実を誰かの所為にしたくて たまらない心と何もできない自分に憤っている全員の思いが痛いほどに分かる。 けれどここで立ち止まっているわけにもいかない事も分かっている。 だからこそ、こんなにも苛立って仕方がない。 「でも……!」 「ここで死にたいの?」 「っ、そういう事を…っ」 「言ってるでしょ?トール。……キミも、ここで死ぬ? ご両親にも会えないまま、ここで、この艦  と一緒に沈む?」 冷たい声に身が竦んだトールを、それでも冷ややかに見詰める。 反感を覚えたのか、仇でも見るような目でギッと睨み付けられるが、構わずに言葉を紡いだ。 「トール、ここで見た事、思った事を忘れないで」 驚きに目を丸くする一同に苦笑して、は言葉を続けた。 確かにここは過去だけれど、今感じている事は確実にこれからの未来に影響を残す。もしもここに 辿り着いた事が必然だったと言うのなら、この光景に出くわした事を忘れずにいよう。 命を繋ぎ止めるために彼らの場所に立ち入るならば、せめてその事実と焼き付いた思いを風化させ ないように。 「私たちが生きるにはこれしかない。なら、私はあの中へ迷わず行くわ」 「…………」 決定打、にはならなかったかもしれない。けれど否を唱える声はそこで途絶えた。言い切れない沈 黙がしばらく漂う。 たとえどんなに綺麗事を並べても、やりきれない方法で生き延びる手段を確保する事には変わりな い。どんなにみっともなくても、卑劣と罵られようと、ここで心中する気はさらさら無かった。 私はここで、生きているんだから。 その後しばらく話し合い、紙で作った花を手向け、黙祷を捧げて作業を開始しようという事になっ た。クルーもそれに賛成し、救命ポッドに乗っていた人々も一緒に花を折った。 は一人、誰もいない通路をとぼとぼと歩く。 その顔には何とも言えない苦渋が刻まれていた事を、誰も知る事は無かった。 「お姉ちゃん!」 笑いながら駆け寄ってきたのは、キラが収容したポッドにいたエルという小さな女の子。 幼い笑顔に、暗く沈んでいた心が僅かにではあるが浮上した。現金なものだと苦笑する。 はエルが話しやすいようにと膝を折り、腰を低くして目線を合わせた。 「なあに?」 「お姉ちゃんも、一緒に折ろう?みんないるよ」 「そっか。じゃあエルちゃん、迷子にならないようにお姉ちゃんと手、繋いでくれる?」 エルは一瞬きょとん、とした後。 「うん!!」 と満面の笑みで眩しく笑った。 そして「行こ!」と小さな手での手を掴み、ぐいぐいと引っ張って床にちょこん、と座る。 色とりどりの、折り紙の山。 折り紙なんて何年ぶりだろう、と思いながら色鮮やかな紙に手を伸ばした。 四苦八苦している男の子達を尻目に、女の子達は割とさくさく折っているのが目に映る。 紙だけで作るにはどうしても限界があったが、それでも様々な花を折っていく。 女の子はもちろん男の子も大人達も熱心に折り、艦内には花が溢れた。 (……そうだ) は余った紙屑を手に持ち、「すぐ戻るから」と言い残して自室へと向かう。 そうして紙くずを一ヶ所に集め、両の手を合わせた。眩しい光が室内を満たし、やがて収束して消 えてゆく。残されたのは手で折るだけでは決して出来ない、本物と見紛う程の花束だった。 それは決して命の輝きを自ら放てないものであるけれど。 模してさえ同等の価値があるのだと、それは凛として咲き誇っていた。 果たしてそこから水を持って行く事とこの花を捧げる事が等価と言えるのか分からないけれど。 それでも自分に出来る事はこれくらいしかないからと、次々と花を咲かせていった。 たった一枚の扉の向こうは、まさに『死の世界』と呼ぶに相応しい。 ミリアリアはドアが開いた瞬間目に飛び込んできた光景に悲鳴を上げた。 人が宇宙空間で死ぬとどうなるか、彼らの心にはそれがまざまざと、そして生々しく刻まれる。 人々の記憶から忘れ去られる事はない、死のバレンタインの始まりの場所。 腐る事のない死体は死んだ時をそのままに止まっていた。 まだ息をしていそうな、今にも起きあがりそうな……綺麗な彼ら。 しかし、その目が開かれる日は永遠に来ない。彼らは死しても土に還る事なく、宇宙を彷徨い続け るしかない。遺体として運び出される事もなく、時をそのままに死に続けている。 いつか地球の重力に引き寄せられ、その身を大気に焼かれる時まで。 色とりどりの花々が宇宙へ……ユニウスセブンに手向けられる。 静かに広がる光景は、美しいのに物悲しい。さっきまで賑やかな中にあった花々が吸い込まれるよ うに宇宙に紛れていくと、まるで違うものに見えてくるから不思議だ。 花はゆっくりとかつてのユニウスセブンに広がってゆく。 その中でただ一つ、花束になっているものがあった。 が作った、花。自室にこもり、一人黙々と作った花束だ。 その花が意味する事は、今のの心と願いそのもの。 は目を伏せ心中でそっと呟いた。 「どうか、安らかに」慰めにもならないかもしれないが、せめて冥福を祈りたかった。 このまま何事も無く終わるかに思われた。誰しもがそう思っていた。 しかし。 作業中、一機のジンを撃ち落としたキラはアークエンジェルに新たな嵐を伴い帰投した。 next (07/06/23)修正