Act 11 一時休戦
「…お願い、出来るかしら」
「はい、艦長」
沈黙はいっそ刹那の瞬間にも思えた。おそらくは躊躇うであろう優しすぎる艦長を前に、珍しく表
情を崩した少尉にも逡巡した様子が見られる。
はにこりと笑った。こうなると分かっていたかのように。それはいっそ穏やかに揺れる水面を
見詰める眼差しにも似ていて、マリューは動揺する。
(……どうして、こんな子供までもが……)
艦長として、責任者として、艦を守る者としての心が揺れる。
どうしても戦力というものは必要なのだ。特に人手が不足している今は。
理屈を並べるが、それがどうしても言い訳じみてしまって苦虫を噛み潰したよう気分は拭えない。
「…ごめんなさいね、巻き込んで……」
「いいえ、大丈夫ですよ。それに私、結構しぶといんです」
それにこうしてくれないと、私が困るんですよ。お荷物になっちゃうじゃないですか。
おどけたように声にするその言葉に、欠片でもいい、どうか本心であってくれと願った。浅ましい
、そう思ってマリューは苦い笑みを薄く浮かべる。
「艦長、あなたは決して間違った選択をした訳じゃありません。艦長として、私を使うだけ使って
下さい」
そうしてまた、はにっこりと笑った。子供のような、だが大人にも似た笑顔で。
少女のその笑みに、マリューは何も言う事が出来ずただ黙る事しか出来なかった。気遣われている
事は明白で、けれどそれに甘えるしかない自分がひどく情けない。
けれどそう思えば思うほど、手放せる状況にない事を痛感して拳を握った。
「パイロットは一人部屋だ」
「、え?」
ナタルに手渡されたのは、一枚の薄いカード。それとナタルを交互に見遣る。
「あの…」
「暗証番号は自分で入力し設定する仕組みになっている。後で艦長にも報告しておけ。部屋はヤマ
ト少尉の2つ隣だ」
「はあ…」
それでどうしろと?
聞こうにもナタルは既に遠くへ行ってしまい、声をかける事は憚れた。行動は迅速に。まさに軍人
の鏡である。それにしたって早すぎるだろうとは思うが。
一人通路にぽつんと残されたは、内心でぼんやりと呟いた。
……キラの近くって言われてもなぁ…そのキラの部屋がどこかも分からん場合どうすれば……
初っ端から躓くであった。
……まぁ、いい。
お腹も空いた事だし、食堂にでも行こう。
そう思って食堂に足を踏み入れたが、そこはもぬけの空だった。人っ子一人いない光景に一瞬唖然
とする。
「…無人だ・・・・・・」
見れば分かる、と誰かいれば突っ込まれそうな事をこぼして、中に足を踏み入れる。
珍しい事もあるものだ。大抵は少なくとも数人はいる食堂は、今やがらんとした雰囲気をかもし出
し、忘れられた空間を目の前にしているような錯覚を覚える。
あんな事があった後だし、みんな寝てるんだろうな、と取り敢えずコーヒーを煎れ、席に座った。
(ふ~……)
はぼ~っとカップの中のコーヒーを見つめる。気分は縁側で熱い緑茶をすするお年寄りだ。
一口飲んで、ぼんやりと波打つ中身を見詰める。気を抜けばそのまま落ちてしまいそうな意識をか
ろうじて繋ぎ止めようとコーヒーを飲んでみたが、なるほど、睡魔というものは侮れない。それが
どうしたと言わんばかりに眠気は収まる気配を見せなかった。
ここで根性見せろ、私、と何となく物悲しいエールを送るが、無駄な足掻き。
・・・・ダメだ・・・・・・、
「…ちょっとだけ……なら、」
いいよね。
は最後の根性でカップを自分から遠ざけてから、一直線に睡魔が導く先へ落ちていった。
キラはストライクの整備を終え、休憩をとろうとドックから出る。
ずっとストライクをいじっている時も、上の空で時々作業が滞っていたせいもあった。
(…)
心の中で呟く。
黒いMS……ブリッツとの交戦中に入ってきた、少し不安そうな、叫びにも似た声が頭から離れな
い。
『アークエンジェル!!』
どうして君が、そんな所に。
耳に届いた声に真っ先に思った事が、それだった。
会ったら色々話そうと思っていたのに、彼女は帰投後すぐさま上官たちに呼ばれ、それっきり。あ
れ以来ずっと顔を見ていない。
「…はあ」
キラは暗く沈んだ思いで、食堂に足を踏み入れる。
一体どうしてこんな事になってしまったんだろう、と疲れた頭で考えるが、溜息と共にそれを締め
出した。
そうして何気なく食堂内を見渡す視界に、見覚えのある人影を捉えてぎくりと足を止める。
一人机に伏して、穏やかな寝息を立てている少女が無防備に鎮座していた。
「・・・・・・!」
キラは疲れも重い気分も忘れて少女に駆け寄る。
もちろん、間違っても起こしてしまわないように静かな足取りで。
どこか具合でも悪いのか。そう危惧したキラの思いは杞憂に終わった。
(…良かった)
意識せず、ホッと息をつく。彼女にケガらしいケガは見あたらない。
安心して肩の力が抜けたキラは、苦笑じみた笑みを浮かべて脱力のままに腰を下ろした。
恐らく自分と同じように疲れて、こんな所で限界を迎えてしまったのだろうの隣に。
サイ達から自分を探しに単身乗り込んできたと聞いて心底驚いたが、それにしても無茶をする女の
子だ、とキラは困ったように微笑した。
ふと思い立って本人が寝ているのをいいことに、じっとその顔を見つめる。
一見すると普通のようだが、やはり疲労の色は滲んでいる事に気付いた。
キラはそろりと指を伸ばす。単なる好奇心であった。ただ単に、滅多に人前ではこんな風にはしな
い彼女が珍しくて、もしかしたら起きてしまうかも、という思いが頭を過ぎるが思いの外スリリン
グすぎて逆に引っ込める手を見失ってしまう。
あと少しでの頬に届く、という距離で、キラは突然力強く腕を掴まれた。
「ッ・・・!?」
寝ていたはずの人物に腕を突然掴まれて、キラは仰天して息を呑む。
びくりと体が跳ねた反動で相手の腕を巻き込んでしまい、それにも慌ててどうにか状況の方向転換
を図る。しかし、どくりどくりと打つ鼓動が邪魔をして冷静な判断力に膜を張る。
そしてその動揺は声にも現れた。
「な、え、お、起きて……!?」
「ん~~……?」
ゆるゆるとの瞼が持ち上げられる。
そしてあくびを一つしたかと思うと、むくりと起きあがってキラの腕を掴んでいた手をぱっと離し
た。そこでようやくキラの心臓は正常なリズムを刻むが、余韻のように血液が勢いよく流れ込んだ
頭は発すべき言葉を見失ったままだ。出すべき声を出せず、キラは最低限の単語しか紡げない。
「・・・ぁ~、よく寝た・・・。あ、コーヒー忘れてた・・・冷めてるし・・・・・・」
「あ、あの。……」
「ん? あぁおはよう、キラ」
「お、はよう。……てそうじゃなくて!」
珍しく声を張り上げるキラには僅かばかり仰け反った。
気配が近付いてきた事で反射的に腕を掴んでしまい、申し訳ないと思いながらもキラの言葉に首を
傾げると、啖呵を切ったままキラは何も言葉を発しようとしない。
ますます怪訝に思っていると、口元がどうして、だの、なんで、だの言っている事に気付き頷く。
「私がキラに気付いたのは、キラがここに入ってきた時だよ」
「え……それじゃあ、もしかして…最初からって事?」
「そゆコト」
「…………。」
してやられた。
自分一人が空回っていた事に気付き、キラはがくりと首を落とす。なんだか慌てていたのが馬鹿み
たいだ。
さっきよりも疲れた気がしてますます肩が落ちる。
あれ、もしかして思ったよりキラってば参ってるのかしら?
俯いたままでいるキラに常ならぬ反応を見たは、彼を休ませようと思い口を開く。
「それより、キラ」
「な、何?」
「部屋どこか教えて?」
「……………………は?」
唐突にそんな事を頼み込んできた事とその頼みの内容に、またしてもキラが目を丸くする。
・・・いや、だって、場所分からんし。
その所為でこんな所で寝てしまったのだと告げれば、キラはやっぱり苦笑して部屋へ続く通路へ促
し、先導した。
案内をして貰ったキラに礼を述べてから、も宛がわれた部屋へと入り、ベッドに身を沈める。
おそらくは隣室のキラもそうしているであろう。そうでなければ、折角部屋に押し込めた意味がな
くなる。
そう、これはの作戦であった。
こうすればキラも自然と自分の部屋に向かう事になるし、何より疲労に追い打ちをかけてしまった
らしい自分のいい逃げ口にもなる。お互いにいい。まさに一石二鳥ではないか。
ちゃっかり棚に上げて煙に巻くであった。
そうして怒濤の一日は無事、とまではいかないがようやく幕を下ろした。
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