Act4 入隊
ふ、とは暗く深い宇宙を見た。
デブリ―――『宇宙のゴミ』が、そこら中をゆっくりとした動きで浮遊している。
キラが放った放火はヘリオポリスに大きな打撃を与えた。
結果、コロニーは崩壊。緊急避難用シェルターは宇宙空間へと射出され、アークエンジェルは宇宙
に吸い出された。
一体何人が脱出し、何人が死んだのか。
詳しい数字は後になって伝えられるだろう。その時、一体何人の涙が流れ、いくつの憎しみが生ま
れるのか。
(…これが、戦争)
は慌ただしいドックの隅に、一人佇んでいた。
脳裏に浮かぶのは、共に道を歩んできた二人の錬金術師の兄弟。
(エド……アル……)
私には、やらなければならない事がある。たとえ何に変えても。
帰らなければ。彼らの所に。
突然に落とされた異なる世界。それは今回が初めての体験では無いけれど。
やろうと決めた道の途中をズラされて、気分は最高に悪かった。
帰らなければならない。何が先に待ちかまえていようとも。
……何故そんなにもこだわるのか。答えは簡単だ。私は私の望みを果たしていない。
人はこれを勝手と言い、私利私欲に溺れた愚か者と見るかも知れない。
何が正しくて、何が間違っているのか。私は何をするべきなのか。
分かるわけがない、そんな事。
最初は自分のよく知る世界に行けて嬉しいと思った。魅力のあるキャラクター。私はそんな目でし
か彼らを、エドを、アルを、たくさんの人たちを、見ていなかった。否定しない。事実その通りだ
。―――彼らは、確かにそこに生きていたというのに。
私がいなくても物語は進み、彼らは歩き続ける。それが悲しいわけではない。私は必要ではない存
在だ、元から。
けれど。
崩壊していくヘリオポリスの断末魔を聞きながら、これからの目的と信念のために、頭は無意識に
今後の行動をどうするべきかを考え始めていた。
ヘリオポリスはなおも崩壊を進めている。感傷になど浸っていられないというのに、やるせない。
人の数だけ世界が死に、死人の数だけ世界が滅ぶ。
起こるべくして起こった事。頭では理解していても感情が追いついてくれない。真理の扉を開け放
ち、出会いを経て変化した気持ちに決意と覚悟を誓ったはずなのに。
いや、その葛藤さえ無意味だ。どうしようもない事をあれこれと掘り返し、勝手に悩んでいては取
りこぼしてしまう。それだけは、嫌だ。
やがて弾き出された結論に、は一度赤い瞳に蓋をして一瞬だけ無になった。
賽は、投げられた。
「…お嬢ちゃん?」
フラガは人の気配を感じて人気のないドックの端に歩み寄り、先程自分に難解な問題を投げかけた
少女が一人、真剣な表情で立っているのを発見した。思わず声を掛けるが、次の瞬間言葉を失う。
目の前の少女はあまりにも真剣な顔つきでその目は遠くを見ている。だが、何かを見つめているよ
うでその実何も映していないような透明な目は、ただただ、意志の篭もった目で何かを見ていた。
まるでどこも見ていないようなそれに、少女の深い何かを垣間見てしまったような気がして背筋が
ぞっと冷える。
久しく覚えたその感覚に自分でも動揺しながら、何とか声を振り絞ってぎこちなく笑みを浮かべて
近づいた。おおよそ一般市民が出せそうもない覇気にも似た気迫に見て見ぬふりをして。
「…どうした?」
「………大尉」
は声をかけられてようやく彼の存在を認識した。
気付かぬほどに思考に没頭していたのか。どうやら思っていたよりも動揺は激しかったらしい。
は顔を上げてフラガに問うた。
「今指揮をとっているのはマリューさんですよね?」
「あ、ああ……」
「ありがとうございます」
「って待て!どこへ…」
は返事を聞くや否や制止の声も意に介さずに出入り口へ走る。
それでも再びの待ったに耳を向けると、首を巡らせて半身だけ後ろを振り返った。
「ブリッジです」
言うと、は再び足を進めた。
が、ふと気付いたように一歩進んだ所で再び足を止めてフラガを振り返った。
「あ、そうだ大尉」
何事かを思い出した様子で、再び視線を合わせた少女にフラガは怪訝そうな顔をしながらもその続
きを促す。
「その『お嬢ちゃん』っていうの出来ればやめて下さい。誰かさんを思い出しちゃうので。では」
そうして今度こそ、彼女はくるりと背を向けてブリッジに向かった。
後に残されたのは、呆然と佇む三十路前の男のみ。
「…なんだってんだ、一体」
呟きはヒヤリとした空気に溶けて消えた。ひょっとして嫌われてる?俺。そんな事を彼が思ってい
るなぞ、彼女には知る由もない。
はブリッジのドアを開いた。
それに驚いたクルー全員の目が少女に集まる。それをものともせずに、少女は真っ直ぐに艦長席に
近付いた。
「マリューさん……いえ、ラミアス艦長」
「おい、民間人は立ち入り禁止だ!すぐに・・・」
「知っています。艦長、私にこの艦の中で何かお手伝いできることはありますか?」
『!!??』
ブリッジ内の全ての者が、驚愕して少女を見た。
マリューは一人ブリッジに飛び込んできたに尋ねる。
「…どうして、そんな事を?」
「この艦、人手不足なんですよね?」
マリューの問いに、は真剣に答えた。あくまで、表面上は。
もちろんそれも理由というか動機ではある。が、真意はそれではない。
ただのお客さん扱いでは、この先、必ず行動に制限がかかる時が来る。そうなる前に、ある程度は
動ける立場にならなければ、そもそもこれに搭乗した意味さえなくなってしまう。
私には、果たすべき目的がある。
そのために
私はまだ、こんなところで死ぬわけにはいかない。
だから。
「手伝います。私もあなた達も、ここで死ぬわけにはいかないですよね?」
「…わかりました」
「艦長!」
ナタルは声を荒げる。
そんなナタルにはゆっくりと首を巡らせ、静かに言った。
「この艦を沈めるわけにはいかないのでしょう?バジルール少尉」
「!」
「なら、利用できるものは何でも利用しないと生き残れない…そうですよね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
あなたは責任感が人一倍強い人だから、こう言われちゃ頷くしかないですよね?
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
しばらく睨み合いが続き、やがて低い声で問われる。何が得意かと。
答えるとひとつ頷いて「では、」と告げられる。今は一人でも多くの人手が必要だ。ただでさえ、
突然の襲撃でこの艦に乗るはずだった者たちが死亡しているのだから。
そうしてこの言葉は双方にとってとても都合の良い言霊となる。
片方は目的の為に。
片方は切羽詰まった事情の為に。
とても便利だ、仕方ないという言葉は。それだけで多少納得できない事由もわだかまりを残しつつ
も解決させてしまえるのだから。
仕方ない、現状がこうなのだから。
仕方ない、他に資源がないのだから。
「…二等兵、指示に従って持ち場につけ」
「わかりました」
はナタルの言葉に頷く。
足場を形成する、第一歩だ。ここからが肝心。ここからが・・・。
与えられた階級は二等兵。
目的のためには手段を選ばない。
たとえそれが誰かを傷つける結果になろうとも。
私には、譲れない思いがある。
それを叶える為なら、私は何でもしてやる。
もう、そう決めた。腹も括った。
だけど。
そんな私を、エド、あなたはどう思うだろう?
軍人となった自分を少しだけ悲しく思った。
ささやかな感傷に過ぎない。分かっているがそう思うのを止められなかった。
戦力を与える代わりに、私は目的の物に近付く。
これは歴とした、等価交換
得る為に、私は私の自由を犠牲にする。
誰にも文句は言わせない。
・・・自分自身にさえ、言い訳は出来ない。
すでにもう、私はスタートボタンを押したのだから。
リセットもコンティニューもない世界の扉が、乱暴に開かれた。
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(06/08/05)
(07/1/29)修正