嘘と真
(・・・・・・あれ?)
道行く人々とすれ違いながら歩く先。
そこにどこかで見た気がするようなしないようなどっちなんだまぁ声を掛けて違っていたら謝れば
良いよなぁ、と多少思慮に欠ける事を思いながら、見覚えのあるような無いような後ろ姿を注視す
る。
庶民が多いこの地区で、言っては悪いがその人物はいささか浮いている。
真っ直ぐ前を見て道を突き進んでいる様は立ち居振る舞いがシャンとしていて、一目で貴族と分か
る。だからだろうか、明らかに違和感があるというのに、誰一人として町民が近付く気配も見せず
に足早にその場を去っていく。その心は『触らぬ神に祟りなし』といった所か。
供も付けずに貴族が一人。
よほどの馬鹿なのか事情があるのか、それとも腕に自信があるのだろうか。
・・・・・・腕に自信。
その言葉からとある記憶がするりと浮上する。
思い出すのも忌々しい、・・・いや、もはや通り越して呆れが出る変質者遭遇事件。
細かには思い出せないが、その大まかな内容を回想し終えて思わずの顔が歪んだ。
成る程、通りで見覚えがあるはずだ。確か彼はあの時に会った美形集団の構成員の一人。名前は忘
れたが間違いない。
引っかかっていた事がしっくりと胸に納まり、捉え所の無かったわだかまりが解消されて幾分か気
分が回復する。ついでに思い出してしまった不愉快な部分には目をつむって流す事にして、さてど
うしたものかとはしばし黙考する。
彼がただの只人だったならばここで声を掛ける事もしただろうが、相手は貴族。庶民から話し掛け
るのは無礼にあたる。相手から声を掛けられるならまだしも、さほど交流がある訳でもない。
だがそれをまったく惜しいとも思わないし、わざわざ声を掛ける必要も無い。
そう判断したはさっさと思考の海から浮上し、彼から視線を外した。
正確には、外そうとした。
が。
「・・・あ」
「・・・え、」
何という事でしょう。
視線が合った。
バッチリ合った。
どうしよう、すごく気まずい。気分はあれだ、準備中のお化け屋敷スタッフを見てしまった時とす
ごく似ている。ヤバイという事は分かるのにお互いがフリーズしてしまい、どうにも動きが取れな
い感じ。そう、まさにそんな心情。あの何とも気まずい雰囲気に私は言葉を失い、無言で回れ右を
したものだ。うむ、懐かしくもしょっぱい思い出だな。ハハハハ。
「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
っていうか何で逸らさない。何故に凝視するんだお貴族様その、・・・何番だかは忘れたが、とにかく
貴族のお方その1(仮)!
目が合ってしまった以上無視する訳にもいかず、仕方がないので愛想笑いで誤魔化す。誰かこの微
妙な空気をぶち壊してはくれないだろうか。
現実逃避にちょっぴりそんな事を思った時、相手の顔が驚きから困惑へ変わった。
恐らく貴族のお方その1(仮)も、先程の私のように相手が誰だかハッキリ思い出せずにいるのだろ
う。見覚えはある。だが正確に誰であるかは断定出来ない。もし人違いならば恥ずかしい。そんな
ところだろうか。というかそういう事にして欲しい。もし変な事に巻き込まれるようなら御免被り
たい。断固拒否だ。だが貴族相手だとそれも通用しないというこの悲しさ。世の中って理不尽よね。
これで私すら彼が誰であるかを思い出していなかったら、この場はさらに複雑な空気を醸し出して
いただろう。だが幸い私の方は曖昧ながらも相手が誰かを理解しているので、名乗る事に問題はな
い。だからどうか彼が疫病神ではありませんように。物凄い無礼だが心の中で何と言おうが相手に
伝わっていなければ問題は無い。彼がサトリでも無い限りは。
「・・・お前は・・・・・・」
「こんにちは。お久しぶりでございます」
「え、あ、いや、」
「先日は貴陽の女性を脅かす不届き者の件でお世話になりました。この場を借りて再度お礼申し上
げます」
「・・・・不届き者・・・・・・あぁ、成る程。いや、こちらこそ形はどうあれ助かった。礼を言う」
「勿体なきお言葉でございます」
相手の言葉を無理矢理遮り、横入りさせる隙を与えずにっこりと笑いながら告げる。
ふ、ヘタに会話の主導権を握られてこちらのペースを乱されても困るからね。
あぁ、気を遣う会話って疲れる。早く切り上げて帰りたい・・・。
先手を打った事が幸いしたのか、どうやら私が誰であるか、彼も思い出したらしい。
それは喜ばしい事だが、そこから先の会話が途切れた事にいささか焦る。
何度も言うが相手は貴族。話を折って終わらせる権利は当然ながらこちらには無い。この社交辞令
たっぷりの会話は彼にとっても取るに足らないものであるはず。
だというのに、いつまで経っても話を終わらせる兆しが見えない。いい加減こっちも頭を下げ続け
る事に疲れてきた。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・、・・・・・・あの」
埒があかないので仕方なくこちらからアクションを起こす。これで不敬だと言われようと黙ってい
る方が悪い。・・・彼が確信を持って沈黙を保っていたというのなら話は別だが。
「あ、いやすまん。顔を上げてくれ」
「では失礼して」
第一段階クリア。
どうやら彼は庶民に嫌味を言うタイプの貴族では無かったらしい。良かった。意地の悪い貴族だと
わざと黙って見下ろしたままニヤニヤと笑い、それを眺めるという悪趣味極まりない行為を好む者
も多い。何とも動物的というか馬鹿らしいというか。そんなもので優越感を感じる頭を持っている
なんていっそ憐れで笑えてくる。犬だってその意味のない当てつけに呆れるだろう。あぁ、こう言
っては犬に失礼だったか。すまない、犬。
まぁ、そんなどうでもいい連中は置いといて。
問題はいかにして会話を切り上げてこの場を去るかだ。
とはいえ、こちらから切り出す訳にはいかない。まったく身分とは面倒なものだ。
てな訳で、さぁ貴族のお方その1(仮)、さらっと続きを言ってくれたまえ!
「・・・ところで、聞きたい事があるんだが」
「はい、私に分かる事でしたら何なりと」
おっとぉ、これは想定外。話はまだ続くのね。
ふむ、・・・・・・聞きたい事、ねぇ。さてお貴族様は何をお聞きになりたいのやら。
内心で首を傾げるが、分からない時は分からないと答えても良いだろうと考えを巡らせる。そもそ
も貴族が庶民に聞きたい内容に心当たりがないのだ。貴族には貴族の事情があるんだろう。多分。
そう自分に逃げ道を作りながら再び相手の口が開くのを待つ。だが、なかなかその先へ進まない。
逡巡しきったその様子はハッキリ言って挙動不審だったが、根気よく待つ。ただし3分間だけね。
「・・・・・・その、だな」
「はい」
「・・・・・・いや、あぁ、何だ、えぇっとだな、あー・・・」
「・・・どうぞ、ご遠慮なくお申し聞かせ下さいませ」
余程言い辛い事らしい。
言葉を選んでいる様子からして、躊躇っているのは間違いない。だが、こちらにも都合というもの
があるので出来れば早く言って欲しい。
「・・・その、・・・・・・ここはどこだ」
「・・・・・・はい?」
「い、いや! ここはあの時の道とは離れた所なのかと聞いているっ!」
あ、あぁ成る程。
最初は何を言い出すかと思ったが、確かにそれは聞きにくかった事だろうと納得する。
女性にとっては忌まわしい以外の何でもないあの事件。それを思い出させるような事は、彼にとっ
て望まぬものであっただろうに。それでも聞かなければならない事だから、彼はこんなにも躊躇っ
ていたのだ。そんなに気を遣わなくてもいいのに。まぁ、育ちの良いお嬢さんなら話は別かもしれ
ないが、私にとっては不要な気遣いだ。だがその心配りが嬉しい。
うん、いい貴族もいたものね。好印象だぞ貴族のお方その1(仮)!
気まずそうに逸らした視線もポイント高いよ! でも私は気にしないから気兼ねはいりませんよ!
「2つほど道を過ぎればあの現場へ続きます。さほど離れてはおりません」
「そ、そうか・・・」
「はい」
先程とは違い、親しみを覚えた分、幾分か柔らかい気持ちで応対する。
だが私の答えを聞いて何か考える事でもあったのだろうか。彼は話を聞き終えるや否や、じっと思
い耽り動く気配を見せない。
には知る由も無かった。
意外といい人認定された貴族のお方その1(仮)が、現在進行形で迷子である事を。
そしていい人認定された彼こと貴族のお方その1(仮)こと李絳攸は悩んでいた。
自分の現在地すら分からないのに覚えのある道を聞いたところで、目的地へ辿り着けるハズもない。
さっさと根本的に問題を解決するために道を尋ねれば良いものを、素直にそうする事が出来ずに、
やっと掴んだ希望に縋るか、それともその為に恥を忍ぶかという究極の選択に葛藤して次の言葉が
出てこないのだ。
「・・・もしや、そこに何かご用がおありですか?」
「え、あ、いや・・・」
言い淀む絳攸を見て、は失態を悟る。
いけない、いけない。余計な口出しは怪我の元だ。これ以上は関わるべきではないだろう。
そう見切りをつけたは素早く頭を下げた。
「詮無きことを申しました。お許し下さい」
「い、いや気に病む事じゃない。頭を上げてくれ」
「しかし・・・・・・」
「・・・良い、と言っている」
「・・・も、うしわけ、ありません」
「あ・・・・・・、いや、その! お、怒っている訳ではない!」
思った以上に鋭くなってしまった己の声に慌てた絳攸は、慌てて誤解を解くべく首を振る。
いくら女性が苦手とはいえ、恐怖心を抱かせたい訳ではない。
その気持ちとは裏腹に、絳攸はしょっちゅう似たような事に陥っていた。その度に反省するのだが
どうもうまくいった試しが無い。今回もやってしまった、と絳攸は自責の念に駆られたが、幾分か
和らいだの顔に密かに胸をなで下ろす。
どうやら彼女は思ったより早く萎縮から立ち直ったらしい。あぁ、毎回こうならば・・・。
思わずホッとして頬が緩んだ絳攸だったが、それを見たは思った。
うん、やっぱり貴方はいい人ですね貴族のお方! 庶民にそんな風に笑いかけて許してあげる貴族な
んて早々いませんよ! いるんだなぁ、こういう貴族も。
噛み合っていない二人は、やっぱり噛み合わないまま再び向き合う。
「ご用は、以上でしょうか」
「あ、う、まぁ、・・・その」
「・・・・・・他に、何か?」
また言葉を濁らせる絳攸に、は思わず尋ねた。
だが実は迷子だなんて是が非でも認めたくない絳攸は沈黙を続ける。
その頑なに口を開こうとしない態度に、はハッと閃いた。
そう、考えられる理由はこれくらいしか無いじゃないか。
「もしかして、網を張って警戒していたんですか?」
「は?」
絳攸は、今度は違った意味で言葉を失った。
思いも掛けない発言に目を丸くしていると、勢いづいたは更に続ける。
「最近は変質者も増えたそうですし、ここはともかくあの周辺は人気もまばらで持ってこいの場所
ですし・・・あぁ、ですからお一人でいらしたのですね」
「え、いや、」
「敢えて目立つ官吏服のまま単独で周囲から囲い込み、袋のネズミにして捕らえるのは確かに有効
ですね。官吏の皆様が通る道を『使えない』と思いこませ、逃走経路や活動範囲を限定的にして
しまえば捕縛は容易く行えますし・・・・・・」
「ちょっと待て、俺は」
「あ、すみません。こんな所で話して良い事ではありませんでした。申し訳ございません」
「・・・い、いや。気にしなくていい。だが俺はそうじゃなくて」
「勿論この事は私の胸の内に秘めておきます。他言する気は一切ありません」
ですのでご安心下さいませ。
そう言ってにっこり笑ったに、絳攸は何も言えなかった。
何しろ言われるまで供も付けずにこんな所を一人で歩いている不自然さや、遠回しに現在地を聞い
た真意など知らない人間がどう解釈するか、考えつきもしなかったからだ。
かといって真実を告げられるかと聞かれれば、答えは否。
それは己のプライドも理由の一つだが、『素晴らしいです!』と全身で絳攸を褒め讃え、尊敬の目
で見上げてくる人間相手に、そもそもそんな事を言える訳が無い。
本人にとっては猫かぶりの社交辞令に過ぎない態度なのだが、実態を知らない絳攸にそれが分かる
はずがなかった。知らないって幸せである。
そして絳攸はその態度にこそ困惑していた。これならまだ自分の言動に畏怖される方がマシだ。悪
い方より良い方に誤解されると罪悪感が段違いすぎて、絳攸の心はぐらぐら揺れる。
やめろ、そんな目で見るな。違う、違うんだ!
・・・と、訂正しようにも真実はとても言えず、かといってこの罪悪感に耐えられるかと聞かれればそ
うでもなく。
かつてない二者択一に果たしてどうすべきか絳攸は必死に考えた。今こそ最年少官吏合格者の実力
を発揮する時だ。今それを使わずしてどうする。さぁ考えろ、働け俺の脳髄よ!
・・・・・・しかし焦れば焦る程、良い案など思い浮かぶはずもなく。
どうしよう、といよいよ混迷を極めた時、絳攸にとって聞き慣れた声が飛び込んできた。
「あれ、絳攸? こんな所で何をしてるんだい?」
「なぜ貴様がここにいる常春ッ!」
脊髄反射の勢いで振り向き、おなじみの台詞で応酬する絳攸を一瞥した後、おや、と秋瑛は瞬く。
絳攸の背に隠れて見えなかったが、どうやら絳攸一人でこの場にいた訳では無かったらしい。
見覚えのある女性の姿に、秋瑛はすぐさま女好きする表情を作った。その切り替えっぷりは年季が
入っているせいか無駄に早く無駄に洗練されている。
「殿ではありませんか。お久しぶりですね」
「私如きの名を覚えていただき光栄です、秋瑛様」
「貴女のように愛らしい方を忘れるなんて、たとえ天地が入れ替わろうと有り得ませんよ」
「まぁ。お上手ですね、秋瑛様」
「本当の事を言ったまでですよ」
「・・・よくもまぁベラベラと・・・・・・」
絳攸はその呆れ返った目を隠すどころか全開にして、胡散臭く笑う男を見やる。
こと女に対しては絶対の自信を見せ、それがいつどこであろうと惜しまず発揮する秋瑛の相変わら
ずさは毎度の事ながら鬱陶しい。
しかしいつもよりその文句が少ないのは、今回に限っては助かった部分が多くを占めていたからで
ある。たまには役に立つ事もあるのだな、こいつにも。
しみじみと意外な使いどころに感嘆していると、秋瑛は突然にやついた顔で絳攸に向き直り、いつ
になく楽しそうな顔で口を開いた。
「それにしても、絳攸?」
「・・・なんだ常春。その薄気味悪い顔をどうにかしろ」
「薄気味悪いは酷いなぁ。それより驚いたよ。まさか君がこんな風に女性と密会する日が来るなん
て。おめでとう絳攸」
「はっ!?」
絳攸の大声に周囲の人間が一斉に振り向くが、相手が貴族と分かるとすぐに逸らし、また歩き出す。
そんな周りが見えていないのか、見えていても気にしていないのか、秋瑛はにこにことした笑みを
崩さない。
「それは誤解です秋瑛様。私がお仕事中の絳攸様を邪魔してしまいまして・・・・・・」
「え、仕事?」
ところがすぐさま入った訂正の声に、秋瑛の声が意外そうに裏返る。
虚を突かれた秋瑛が鸚鵡返しに尋ねると、隣にいた絳攸はギクリと肩を跳ね上げた。血が下がって
顔が青ざめ、ものの見事に硬直する様はいかにも何かありましたと言わんばかりの激変っぷりだ。
しかしに視線を固定していた秋瑛はそれに気付かず、不思議そうに首を傾げるに留まる。
そして何も言わない友人に何かを感じ取ったのか、ちらりと横目で視線を投げた。
「秋瑛様もお仕事中でしょうし、これ以上ご迷惑を掛ける訳にも参りませんので、私はここで失礼
させて頂きますね」
その隙をつき、は今がチャンスとばかりにさっさとこの場を離脱する。
おそらく秋瑛も彼と同じように巡回の為にここにいるのだろう。本来ならお互いここで遭遇する事
も無かったはずが、絳攸と二人で話していたせいで思いも掛けず合流してしまったのだ。さすがに
これ以上仕事の邪魔をする訳にもいかない。ここは何も無かったように、ただちょっと世間話をし
ていたんですよ的な雰囲気を演出して去るのがベストだ。
空気を読む元日本人はそう判断すると、実にスマートに別れを切り出した。
若干呆気にとられた男二人が引き留める間もなくフェードアウトし、その場に取り残された彼らに
何ともいえない沈黙が流れようと、の知った事ではない。
丸投げとも逃亡ともとれる脳内からの撤退命令に、は迷う事無く従った。
結果、この場には些か不釣り合いな男二人が取り残され、乾いた風が吹く。
「・・・・・・ねぇ、絳攸」
「うるさい」
「いや、まだ何も言ってないし聞いてないよ。彼女が言っていた君の仕事って・・・」
「やかましい」
「君、いつものように迷子だったんじゃ・・・・・・」
「口を開くなこの万年脳みそ花畑男ッ!! 俺は迷子じゃない!!」
律儀に二つの返答を叩き付けつつ、絳攸はこの話は終わりだとばかりにズンズンと歩き出した。
遠ざかっている背中に、まぁ今度彼女から聞き出せばそれでいいか、と結論づけた秋瑛は遅れて歩
を進め、友人の後を追う。
後日、事の詳細を聞き出した秋瑛は面白いという理由で作戦を採用し、実行した。
結果、本当に変質者達の検挙に成功したのは思いがけない収穫だった、と嬉々として秋瑛が王に報
告したのは、また別の話である。
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某E氏に捧げます。
たまには主人公が勘違いされるんじゃなく、してみた。
トリップ主が彩雲知らないからこその誤解とすれ違いによる結末。
ここからどんどん捻れていくのかは・・・不明←
図らずも絳攸夢になりそうな予感。
(10/08/30)