変態とはどこの世界、どこの時代にもいるのだろうか。
は目の先数メートル前方に現れたものに視線を注ぎながらそんな事を思った。
あぁ、今は夏だったなそういえば。
ふと元いた世界での言葉を思い出す。それは教師だったり友達だったり親だったりと様々だが、言
う事はどれも一貫して同じ内容を述べていた。
曰く、『変態は夏に出没しやすい』。
いやしかし、現代文明の存在を忘れてはいけない。冬は確かに外は寒いが、室内は快適な温度が保
たれている。つまり、屋内で変態行為に及ぶ変態も出てくるのだ。何という事だ、文明の利器がこ
んな副産物を輩出してしまうとは!
しかしこの彩雲国、文明レベルとしては中国の王朝あたりに相当する。
殷、周・・・・は、流石に無いが(何せ戦乱の時代で混沌とした時世だ)宋、元、明、・・・・・・うーん、
どれだろう。中華民国は少し行き過ぎか。
どうでもいい事をつらつらと考えながら、しかし視線は外さない。
現代と比べてこの時代はまだ相手側にもそこまでする考えは無いのか、目の前の露出狂は全開とい
うより真ん中だけ全開、という状態だった。とはいえ見えてるモノは変わらない。
この遭遇率の高さは何なんだろう、とは小さく嘆息した。
何故この国に生きるようになってからも出くわさなければならないのか。
は日本でも変質者に遭遇していた。
仕方がない。細い道は人通りも少なく、街灯も心許ない光しか闇を照らす程度だったのだ。
そんな経験を嫌でも積んでしまえば、こういう状況になっても取り乱さず、むしろ逆に冷静になっ
てしまい、は呆れた目になった。対処法など思い出さなくとも既に条件反射である。
は一歩を踏み出した。後ろにではなく、露出狂のいる方へ。
迷いも躊躇いも見られないその堂々とした歩みに、ビビったのは露出狂の方である。一瞬たじろい
だものの、妙なプライドかそれとも意地か、「こ、これが目に入らぬかぁーっ」とばかりに局部を
強調してくる。ハッキリ言おう、無様である。
は嘲笑う顔を良く見せるように傾けた。
「へぇ、そんな大したモノでもないのを見せられて、私が叫ぶとでも思うの?」
じろりと目だけをそこへ移す。ますます笑みを深めてやれば、露出狂は足を後ろへ下げた。
「むしろそんな貧相なものを見せられた私が可哀想だわ。ねぇ、それで自慢でもしてるつもり?」
最近この辺りに変態が出没するのは聞いていた。
恐らく今日も若い娘の狼狽える様を楽しみに夜な夜な出歩いていたのだろうが、相手が悪かった。
嬉しくは無いがこういう事態に慣れっこの現代人である。長袖が当たり前の世の中とは違う環境で
育ってきたのだ。それこそプール授業が男女合同で行われていたりしていたのに、今更ブツを見せ
られたくらいで動揺などしない。
笑いながら尚も歩いていくと、露出狂は怯えてさっと身を翻し、走り去っていった。
・・・・・・反応がまるっきり乙女である。ひぃひぃ泣きながら去るのはいいが、せめて前を隠してから
行ってもらえないだろうか。まるで私が不貞を働いたようではないか。
やれやれと嘆息すると、後ろからクスクスと小さく笑い声が聞こえてきた。
今度は何だと振り返ると、そこには何とも顔立ちが整った男がこちらを楽しそうに見ながら口元に
手をやって控えめに笑っている。
「何か?」
眉を潜めて言うと、男は「いや、すまない」と本気で謝ってないだろお前、と瞬時に分かる謝罪の
言葉を口にした。
「あんな風にああいった輩を撃退する女性を見たのは初めてだったから、ついおかしくて。気分を
害したならすまないね」
よくよく見ると、男は随分と身なりの良い格好をしている。更に窺うと、どうやら連れが居るらし
かった。笑っているのは男だけで、連れの方は何やら絶句してこちらを凝視している。が、特に気
にする事もなく男に向き合った。
「ああいった類は騒げば騒ぐ程喜ぶ真性の変態ですから、逆の事をされると自信喪失して勝手に自
滅してくれるんです」
「あぁそれで。助けに入ろうと思ったんだが、どうやら必要は無かったようだね」
「そうですね、逆に介入されると相手が逆上するか調子に乗るか、煽る事は確かでしょうから」
ストーカーと同じく、こういう時に異性に頼ると相手側がキレて何をするか分からない。
あぁ全く、無駄な時間を過ごしてしまった。早く帰って布団にくるまりたい。
「しかし、捕縛しようか話し合っていた時にあんな風に退けてしまう人に出会えるとは思わなかっ
たよ。ねぇ絳攸?」
「なぜ俺に振る、常春!」
笑みを口元に宿したまま、そう言ってくるりと背後を振り返った男の後ろには、これまた美形の男
が佇んでいた。
別に仲間に話題を振るのはいいが、いい加減帰ってもいいだろうか。
私の帰り道は丁度彼らがいる方向であるため、この場から去りたくても去れないのだ。
だからどいてくれまいか貴方がた。
「余も初めてなのだ・・・・・女性とは逞しいのだな」
「しゅ・・・・・こほん。劉輝様、女性を相手にそのように仰るのは憚られた方が宜しいですよ」
まぁ普通は失礼だよなぁ。
は一人内心で頷いた。
言われてしまった男・・・これまた美形だなぁ、おい・・・は、うっと言葉に詰まって身を縮ませる。
「そ、そうだな。すまなかった」
「や、まぁ別に構いませんよ。私は気にしませんから」
徐々に彼らの全容が見えてきた。どうやら男四人の集まりのようである。そこまでは普通だ。しか
し、何でまた全員が全員、謀ったように美形揃いなのだろうか。この時代にも出張ホストなんてあ
ったのか。
の思考があらぬ方へ脱線していく。
「しかし、お主怖くは無かったのか?」
「は?」
意識が別方向へ向いていたは、言われた言葉を上手く拾いきれずに抜けた声を出す。
するとそれをどう捉えたのか、劉輝と呼ばれた男は若干うろたえた様子で言葉を重ねた。
「いや、いくら相手を刺激しないよう振る舞っていたとしても、たった一人で女が男に立ち向かう
など・・・・・・危ないだろう」
「あぁ、その事ですか」
どうやらこの男は私の身を心配してくれているようである。いい人だ。なのに子供を相手にしてい
るかのようなこの心情は何なのだろうか。おどおどと子供が尋ねてくるようでありながら、年上の
兄弟が下の子を嗜めるような目をしている。アンバランスだ、と思った。
「その心配は必要ないようですよ? 彼女は嚥武官のご息女のようですから」
私は驚いて顔を向けた。言葉を発したのは始終笑みを称えている男である。
「そうなのか?」
「ええ、頻繁に父君や同僚に食事を届けに行ったりしている父親思いの女性です」
何でそれを知ってる!?
私は訝しむと共に警戒の目を向けた。私の事を知っているのは養父と養父の仕事仲間、そしてご近
所くらいである。
そんな私の心中を察したのか、男はにこやかな笑みを私に向けた。
「そんなに怪しまなくとも、私は貴女の父君と同じく朝廷で武官を勤めている者ですよ」
言外に、だからお前の存在を知っていたのだ、と言っている。それなら納得だ。しかし私は彼の姿
を見た事は一度もない。まぁ噂でも聞いたのだろう。そう納得して私はあっさりと視線を外した。
「そうですか」
父がいつもお世話になっております。
社交辞令だけを向上に述べて略礼をとる。
「そうなのか。ならば静蘭も知り合いか?」
「いえ・・・・・・あまりお会いする事はありませんね」
最後の一人の名前がようやく判明した。せいらん。知らない名前だ。発言から察するに彼も朝廷仕
えの武官らしいが、生憎と全員が顔見知りではない。いつもこっそりと目立たないように、を徹底
している私に、朝廷内での知り合いがそう多いはずも無かった。流石に女が朝廷に出入りしている
とマズイ。私は話題を逸らすべく口を開いた。
「それより、先程捕縛がどうのと仰っておりましたが」
「え、あぁ、うん。そうだよ。それがどうかしたのかい、お嬢さん」
常春、と呼ばれた男が振り返る。まさか本名ではないだろうが、他に呼び名が無いので便宜上そう
呼ばせて頂く事にする。
私はその言葉にこくりと頷いた。
「でしたら申し訳ありませんでした」
「何を謝る事があるのかな? むしろ助けに入れなかった私たちこそ謝罪する側だと思うよ」
まぁその必要も無かったようだけどね、と目を細める常春さんを一瞥して、私は首を振った。
「いえ、もし自信喪失していたらもう出没しなくなるのではないかと。そうすると捕まえようがな
いので、それで」
「あぁ、その事か」
合点がいったように常春さんが声を上げた。
「どういう事だ?」
「簡単な事だよ絳攸。考えてもごらん、大の男が女性にああも言われてへこまないと思うかい?」
しかもあんなにハッキリと。
そう可笑しそうに常春さんが言えば、こうゆう、と呼ばれた男はそういう事かと会得したように頷
いた。
「確かに、ああも貶されれば二度とああいった行動は起こさんかも知れんな」
「だろう? 男の沽券に関わる繊細な事だからね」
「ふん、あんな頭に虫の湧いた男の沽券なんぞ、俺の知った事じゃない」
「厳しいねぇ」
言いつつ楽しそうに常春さんは笑った。他人事だからこその笑い話だ。言われた本人にとってはと
んでもなかった事だろう。だが、絳攸さんの言葉を借りるが、そんなもの私の知った事ではない。
「まぁそれで被害が出ないなら良いではありませんか」
せいらん、と呼ばれた男は、やけに眩しい笑顔で言い切る。同情? 何それ美味しいんですか、と言
わんばかりだ。うわ、容赦ないな、と内心で評価する。
まさか彼らが双花菖蒲、時折お世話になる府庫の主邵可さんの家人、そして彩雲国のトップである
事などこの時の私は知りもせず、ただ早く道を譲ってくれないかといつ言い出そうか迷っていた。
星月夜
(多分ここから原作に突入するものかと思われますが書くかは未定)
(08/03/02)