温もりを求めて


またか畜生。 そう思う前に、悪態が声なき声で吐き出される。 見渡さなくても分かる、一面緑に覆われた視界に瞬時に眉が寄った。 誰の陰謀か、突然猫耳と尻尾を生やした生き物が住む世界に放り込まれてしまってからそろそろ一 ヶ月。 巷ではそれなりに噂らしい魔術師リークスと物好きシュイに拾われ、何とか生きてはこられたが。 ・・・・・・駄目だ、回想すら億劫で仕方ない。 シュイが俺を元の世界に帰す方法についてどうにかできないかとリークスに熱心に尋ね、それが鬱 陶しかったのか自分の研究ができないと思ったのか(多分両方だろう)リークスはその知識を活か して俺を元の世界に帰す方法を探してくれた。 まぁ俺としても帰れるなら出来るだけ早く帰れる事に超した事はないのだが(いつまでも猫耳を生 やす趣味は無ェ) しっかし試しても試しても、やはり異世界へ人ひとりを送るなんてぶっ飛んだ話は中々難しい。 いくつかの臨床実験の果てに、こうして見知らぬ土地に飛ばされる事はこれで何度目だ。 何故か森の中に毎回飛ばされるので、嫌でも森に詳しくなってしまった(不本意であるが)のも、 そのせい。つまり、今の状況がまさにそれ。 はあ、と重く息を吐き出す。 俺が消えたと言って今度こそ帰れたんだ、と喜ぶヤツの前に現れた時の事を思い出すと頭が痛い。 良かった、と笑っていた奴が俺を見た瞬間絶望の色に染まるのは正直言って気分が悪ィ。(人の顔 見た瞬間にそういう顔されてみろ。ムカつく以外のなんでも無ェ) んな簡単にいくかよ、と思ってもやはりこう何度も続くと落胆より疲れが出る。 いちいち飛ばされるのでリークスの所まで帰るのだが、野盗やら魔物やらに襲われるのは勘弁しろ という話だ。 護身用にと剣を持たされたが基本も何もない素人の剣筋に誰が怯んでくれるのか。今のところこれ が役に立ったところなど一度としてない。 それでも生きて帰れるのは俺の強運が成せるものかそれとも単なる偶然か。 どっちにしろ実験は失敗したという事には変わりないが。 忌々しげに前を見据え、足を進める。 何だかんだ言っても、戻らないわけにはいかないのだから仕方ない。 「・・・・・・ん?」 自然の中にいるせいか、研ぎ澄まされた聴覚が何かの音を拾った。 ピクリと動く猫耳には悲しいが慣れた。いちいち騒いでもどうにもならない事だしな。(・・・と、思 う事にする) 気配を殺して(これもいつの間にか覚えた。厄介事には敏感じゃねェとやってらんねぇ)影に潜み 、様子を窺ってみたところで目を丸めた。 子供がいる。 両手を赤く染めて、どこか呆然としたようにそれに見入る白い子猫は、こちらには気付いていない ようだった。 白銀と呼ぶに相応しい髪と尾に、所々赤い斑点が付着している。 少年が動く。 赤い塊に頬を寄せ、うっとりと目を閉じた。時折確かめるように頬擦りをしている。 飼っていたペットか何かだろうか。見た感じは姿の消えたそれを発見して喜んでいるように見える が、それは間違いだと知る。嬉しそうだったからだ。悲しそうではなく。ようやく見つけた大事な ものが他の獣に襲われ、血まみれなのを悲しんでいるわけではない。 その証拠に、冷え始めた表面に不満を感じた少年は、奥にある暖かさを求めて肉を抉っている。 跳ねる水の音と肉の潰れる音が届いた。グロい光景にも程がある。 だがこのまま見ているわけにもいかない。 子供が一人でここにいるという事は、近くに村があるのだろう。 ここがどの辺りか聞けるなら聞きたいし、何よりいつまでも見ていたいものでもない。 そう思った、その時だった。 「!」 咄嗟に潜んでいた場所から飛び出す。 腰に下げた剣を構え、鋭い爪の一撃を受け止めた。甲高い音が辺りに響く。 「・・・ッ!」 「、え・・・っ」 そこで初めて少年が声を発した。 驚愕の顔が次に信じられないという表情に変わる。 陶酔していた少年の背面から、一匹の魔物が少年を狙って襲ってきたのだ。 慣れない剣を水平に構えて繰り出された爪を防ぐ。 「く・・・‥ッ!」 あっぶねェ・・・! いくらか野盗を相手にした後で良かったぜ・・・‥。 力比べをして敵わない事は分かり切っているので、ギリギリセーフの一撃を弾いて構え直す。 威嚇の一撃を振り下ろし、魔物が下がった所で「とっとと行け!」と呆然としたままのガキに怒鳴 った。だが暗に逃げろと伝えても、全然動きやしねェ。 チッと舌打ちをして魔物を誘い出す。何で俺がこんな事しなきゃなんねぇんだ。殺し合いなんざし た事ねェっつーに。 いくらかの応酬が続いた後、隠し持っていたもう一つの剣で魔物に止めを刺す。 卑怯と言うな。ズルいとも言うな。勝ったモン勝ちだ世の中は。 慣れない刃に手間取りながら、魔物に突き下ろした剣を抜く。 あー、無駄に疲れた。 剣を収めるとそこには未だに放心したガキが一人。・・・まだ呆けてやがんのか。 「おい、」 呼ぶとガキは過剰な程に肩を跳ね上げた。 その様子に眉根を寄せたが特に気にする事もなく言う。 「ンなにビビんなくても何もしねぇよ。ここが何処か聞きたいだけだ」 「・・・ぁ・・・‥」 これ以上ない程目を見開いて恐ろしいものでも見るような視線に内心で苛立ちがつのる。 聞いてんのかてめぇ、と言おうとして口を開くと、同時に水音を立てて何かが地面に落ちる音がし た。ずるりと少年の手の中からずり落ちた肉塊は潰れたトマトのように赤い血液を周囲に撒き散ら す。花火のように散って飛沫が草や地面を濡らした。 「あッ・・・‥」 それに再度向けられる少年の視線。次に俺を見る目は、怯えの色に染まっていた。 そうして見開いた目から涙を零して、目の前のガキはひたすら言霊を繰り返す。 「ご、ごめ、なさ、ごめんなさい、ごめんな、さ・・・っ」 「、おい」 「ごめんなさい、ごめんなさ・・・ッも、しないからっ、言わな、ぃで・・・!ごめんなさい・・・ッ!」 ごめんなさい、もうしないから、言わないで。言わないで。 取り憑かれたようにそれだけを繰り返し言うこの子猫は、俺が告げ口するのを恐れているようで、 かなり怯えている様子だった。 それをしばらくの間、わけも分からず聞いていた俺だったが、埒があかないと悟って眉を寄せ、 「取り敢えず、落ち着け」 という言葉と共にガキの頭に手を乗せた。 びくりとしてそのまま見上げた青い目が俺をとらえる。 「ひとつ聞くが、お前の黙っていて欲しいってのはソレの事か?」 「・・・‥ッ」 「無言は肯定と取るぞ」 沈黙したままの怯えきったガキ一人を前に、(なんだってこんな事に・・・)と思いつつも言葉を重 ねる。 「そんな風に言うって事は、てめぇでそれはやっちゃいけねぇ事だって分かってンだろ?だったら  俺にどうこう言う前にする事があるだろうが。誰にも言うなっつぅんなら言わねーよ。なんでお  前がンな事してんのかも聞かねェ。ただ、これだけは言っておくぞ」 恐慌状態にあった少年の体が僅かに弛緩し、揺れる双眸が徐々にその色を失う。 落ち着きを取り戻してくれるンならその方がいい。 「言い訳だけはすんな。見た感じこれが初めてってわけじゃ無ェんだろ。いきなり何かをやめられ  るわけがあるまいし、ゆっくり時間をかけて直しゃあいい。けどな、やっちまった後で言い訳は  するな。やりたくなったら蹴り飛ばせ。出来なきゃ逃げろ。誤魔化して目を逸らすな。堪えきれ  なくなったら、周りの大人や親を頼れ。ガキなんだから」 気ィ張りすぎてると疲れるだけだぞ、とぐしゃぐしゃに髪を掻き乱してやると、俺は手をどけて体 の横に下ろした。 ガラにもない台詞を吐いたのは自分で分かっている。 だからこそ不機嫌な顔にならずにいられない。俺を知ってるヤツがここにいたら、間違いなく爆笑 される事だろう。それが想像できてムカつき度が上がる。 「でも・・・‥っ」 「?」 「親、には・・・っ、・・・‥ッ」 絶対に言えない。頼れない。 そう言いたげに唇を震わせる、ガキらしく振る舞えないガキを見下ろす。 (・・・・・・・・・) このガキを目にした時から感じていた違和感。 目の前にいるのは確かにガキでしかないガキなのに、その内外は見事なまでにズレている。 ガキではいられなくなった子供。その事実に思い切り眉間に皺が寄る。 誰だコイツを育てた奴ぁ。 抑える事もせず舌を打つ。 子供でいられる時間は限られているのに、そうできなくなってしまったコイツ。 周りにいた大人は何をしていたんだと腹が立つ。 子供に期待するのは自然な事だが、度が過ぎると逆効果でしかないのに。 「親には頼れないか」 「・・・・・・・・・」 「頼れる奴は一人もいないか?」 「・・・・・ひとり、だけ・・・・・・・」 「じゃあどうしようもなくなったら、ソイツに言え。曲がりなりにも大人ならガキのお前には無理  な事でも何とかしてくれるだろうし、してくれなくても助けにはなる。後はお前次第だ」 「・・・・・・・・・」 「大切なものは見失うなよ」 考え込むように黙ってしまった子供を尻目に、再び歩き出す。 しばらく進めばシュイの為に作った目印が見えてくるはずだ(これをリークスに言うと機嫌が悪く なるので面と向かっては言わないが)。 草を踏みしめる音で俺が立ち去ろうとしている事に気付いたのか、子供が慌てた声で待ったをかけ る。 「待って、あのッ、・・・なまえ・・・・・っ」 「あ?」 「ッ、あなたの名前、は・・・・・・」 なんでわざわざ言う必要が?と思ったものの、別に減るモンでもなし、あっさり口にした。 「」 一言告げるとひらひらと手を振って今度こそ立ち去る。 別にあのガキと関わり合いになりたくないとかそういう理由で急いでるんじゃない。 早く戻らねぇとあのデコボココンビがうるさい事になるからだ。(一匹は視線で、一匹は口で喚い てきやがる。ウゼェ) それが後になればなる程長くなる事は経験済みなので、さっさと戻るに限るのだ。 見ようによっては俺はあのガキを見放した事になるのだろう。 けれどあれは第三者でしかない俺が現場にいたとはいえあのガキに何かを与える事はできない。 らしくねぇ説教をたれちまったが、あの言葉が流されてもそれでいいと思う。 ふらりと現れた俺如きがどうこうできる事でもない。 でも多少なりとも関わり、あのガキを知らないとはいえ言いたい事はあったから言った。 それだけの事だ。 だからあのガキがこの先どうなるかなんて、俺には知らないし、知る由もない。 (07/3/6)