誰か夢だと言ってくれ


俺はさっきまで、そう、一瞬前までは確かに車に乗ろうとしていたはずだ。 飾りっ気も愛想もない鍵だけが連なった束をポケットに突っ込み、貴重品だけ持って部屋を出て、 駐車してある車のところへ行こうと行動していたはずだ。 なのに。 「・・・・・・あ゛?」 なぜ、俺は今、鬱蒼とした森の中にいる。 ふざけんじゃねぇ。 俺ぁこれから切れそうなタバコを補充しなきゃなんねェっつーのに、なんでコンビニすら無さそう な大自然の中にいるんだ。マジでふざけんじゃねェ。 これはあれか?俺にタバコをやめさせようとする誰かの陰謀か? 健康に良くねェからもう吸うなって? 冗談。肺が真っ黒になろうと俺の体が不健康になろうと俺の勝手だ、他人にとやかく言われてハイ そーですか、と頷けるわけもない。誰がやめるか。たとえやめたとしても確実に俺の神経がもたね ェ。体に良くても精神的に悪ぃのは目に見えてる。 盛大に眉を寄せて舌打ちをかまし、ガリガリと頭を掻いた。吹き抜ける風が今は鬱陶しい。 とにかく現状を把握していない以上、ここで何を考えたって一人じゃどーにもならんな・・・あぁメ ンドくせぇ。 部屋でごろごろしていようと思っていたのが、タバコがそろそろストック切れという危機に重い腰 を上げて渋々出かけたという事情も手伝い、わけの分からない事態が更に苛立ちをつのらせた。 それこそタバコの一服でもしないとこの昂ぶった感情は鎮められそうにない。 そう思って懐からライターとタバコを取り出そうとしたところで、そう遠くない位置の茂みが揺れ た。ぴたりと手を止めて渋面をそのままに顔を上げる。 気のせいか。 ・・・・・・いいや、違うな。 様子を窺う。 じっと耳を澄ましてみたがそれは俺の空耳でも何でもなく、しかもこちらに近づいてきているらし かった。ガサガサと葉の擦れる音が次第に大きくなり、逃げる時間はそうそう無いと知れる。 何に逃げるというのか。 決まってる、凶暴な野生動物に出くわしたらどうなる。喧嘩しかした事がない俺がそんなモンと遭 遇して無事でいられる訳がねェ。 それが小動物の類なら問題はない。だがここは森だ。 もし熊だったとしたら、確実にヤバイ。ここから離れるべきだ。 だが聞こえる音からしてここにいる俺が発見されるのは確実だろう。 もうだいぶ近くまで来ている。イコール、逃げても助かるかは不明。 なんだってんだ、今日は厄日か。 なんでこうも次から次へと、予定外の事態がふっかかってくる。他所でやれ。俺を巻き込むな。 大体もう面倒な事に巻き込まれるのはたくさんだ。のしつけて返してやる。 この間もダチと元カノとの諍いに参入するという強制イベントを嫌でも経験させられたってのに、 (おまけにとばっちりも喰らうハメになった。金輪際ヤツとの友情はシビアにいこうと固く決意し たのは言うまでもない)今日は今日でタバコが切れそうになるわバイトに行ったら客にいちゃもん つけられるわ、なんか憑いてんのか畜生。 思考がいい具合に脱線して(命の危機かも知れないのに苛立ちの方が勝って文句が先に出た)憤慨 の念に駆られていると、ザザ、と草むらが揺れる音で意識を戻す。 余計な事まで思い出している時じゃないと米神に手をやり、軽く頭を振った。 いよいよ茂みの揺れる音が一層大きくなり、目の前の群生した葉が乱暴にどかされた。 やべぇ、さっさと逃げてりゃ良かったと思うが、もう遅い。 あぁそうかよ畜生クソったれ来るなら来やがれ望むところだ相手になってやるありがたく思えよこ の野郎。 目を細めて飛び出してくるものを待ち構える。 現れたのはフードをかぶっためちゃくちゃ怪しいヤツだった。 ・・・なんでこのご時世に、フード。 思ったが口にはしない。 何が出てくるかと思ったが、人間なら好都合だ。何がどうなってこうなったかは知らないが、とっ ととこんな森からおさらばするために道案内をしてもらおう。 見た目からしてむちゃくちゃ怪しいが、聞くだけでも損ではないはずだ。多分。 多少の不安もあったが快くそれを無視し、思考を切り替え、そして、 「おい」 声をかけようとして、やめる。 葉を掻き分けたままの状態で、固まって俺を凝視したまま動こうとしないフードの男が、俺を見る なり電池切れのように動かなくなったからだ。 なんなんだ。不審の目を向ける。 フードのせいで顔は見えないが、どうやら驚いているらしい。何にって、俺の存在に。 まぁ、こんなところに人がいるなんて思わないだろう。現に俺も思ってなかった。おまけに俺はこ んな場所にいるってのに至って軽装備。野生動物に襲われても自業自得と言えるような格好だ。 分からないではない。 だが。 いつまで固まってんだ、てめぇ。 「おい」 今度こそはっきりと声に乗せて短く呼び掛ける。 数秒間の空白の後に、フードの男(だろう、体格からして)は大げさなまでに肩を揺らせた。 眉を潜めるが相手は俺の不審な目を気にも留めずに、 「に、逃げて!」 と、のたまった。 その言葉に、俺は当然、 「・・・・・・あぁ?」 と低く唸る。 だってそうだろ、突然現れて突然そんな事を言われりゃあ、誰だってそうなる。 眉を顰めたまま動かない俺に業を煮やしたのか、切羽詰まった声は「早く!」と喚いた。 何から逃げるというのか。意図が読めない。自然と声が低くなった。 「・・・なに言ってンだ?」 逃げるって何からだ、と問おうとして、フードの男の背後から現れた「何か」に出そうとしていた 言葉が封じられる。 フードの男の背後から巨大な影が現れた。 なんだと思う間もなく影に反応が遅れた男の腕を咄嗟に掴み、引き寄せる。一瞬あとに一陣の風が そいつのいた場所を通り過ぎ、次いで地面が思いっきり抉れた。草と土が宙を舞う。 「なっ、」 続いて影としか認識していなかったソレがぬらりと這い出てきて、俺は今度こそ頬を引きつらせた。 影は、何とも形容しがたい姿で俺たちをその目に捕らえている。 熊のように毛むくじゃらの体躯、頭には角が生え、オオカミのような口が隙間から唾液を流し、ま るでゲームのモンスターのような見た事も聞いた事もない生き物。 飢えたような赤い目は当然、しっかりと俺たちを映している。 おい、俺はUMAを追い求めるようや野郎の面倒事に付き合う気は全く無ぇぞ。 つか何を余計なモン引きつれて来てんだてめぇ! 「おい!」 「あ、え?」 文句を言おうと口を開くが、この野郎、呆けてやがる。 フードの男は何とも間抜けな声で俺に応えて下さった。 「いつまでへたれてんだ!とっとと立て!」 訳が分からない、とまんま顔に出ているフードの男はぽけっとした顔で俺を見上げる。 見上げるというのはつまり、そいつは地面に引きずり倒された体勢なわけで、俺と視線を合わせる にはそうするしか無いわけで。 要するに引っ張り出した俺が呆けさせた原因っちゃあ原因なんだが、命を助けたんだ、文句は無ぇ だろ。出しても受け入れねぇが。 それよりも、 「さっさとしろこのボケが!死にたいのかだったら遠慮無く置いてくぞどっちなんだハッキリしろ  死にてぇのか死にたくねぇのかそもそも俺を巻き込んでおいて説明もなしかてめぇ責任とってく  れんのかあぁん?つか状況よく見ろやべぇのは分かるだろ分かったらさっさと立て!!」 「は、はい!」 一方的にまくしたてた俺の剣幕に圧されたのかようやく状況を理解したのかは分からんが、怒鳴る ように一喝すると弾かれたように男は立ち上がり、足先をモンスター(仮)がいる方向とは逆に向 けて駆け出した。俺もその後に続く。 全力で走ったものの、やはり人間と獣とでは体力や走るための構造が違うのか、すぐに追いつかれ た。大きな木に背を向けて睨み合う。 息を切らし、肩を上下させながら思った。 なんで俺、こんな目にあってんだクソったれ。 「・・・・・・ごめん」 「あ?」 ぽつり、と掠れた声に聞き間違いかと思ったが、そうではなかったらしい。 モンスター(仮)から目線を反らすわけにはいかないため、ちらりと横目にフードの男を見た。 「巻き込んで、すまない。君がいたとは知らずに逃げ込んだから・・・・・」 私のせいだ、と言ったきり口を閉ざして沈鬱な雰囲気を漂わせる様子に、眉を寄せる。 フードをかぶっているせいかますます影が落ちているように見えるそれは、鬱陶しいほど暗い。 その辛気臭ぇツラ(見えないが)に、苦く口元が歪んだ。溜息を吐く。 「確かにな、巻き込まれたのは事実だろうが、だからって別にお前のせいじゃねぇだろ。単に運と  タイミングだ。第一悪いってんならすぐにあそこから逃げなかった俺にも非はあるだろ」 「・・・・・、ぇ」 「んな事ぁどーでもいいんだよ。起きちまったもんはしょうがねぇだろ。それよりンな事気にして  る暇があるならこの状況をどうするか考えやがれ」 理不尽だ。 あぁそうともお前が俺のいる方に逃げてこなかったら俺は今頃こんな事態に陥ってなかっただろう さ。 だがそんな討議は後でいくらでもできる。 そんな事よりも、まずはこの難局をどうするかが先だ。 「ぐだぐだ言ってる暇があるならもっとマシな方に頭を使え」 そっちの方がよっぽどだ、と逃げる途中で拾った木の枝を木刀に見立てて構える。 重苦しい空気をしていた隣の男は俺の発言に再び間抜けなツラを晒した。(口元しか見えないが) 阿呆、緊張を解いてどーする。敵から意識逸らしてんじゃねぇ。 「分かったら前見ろ、前」 勝てるかなんざ知らねぇ。けど、やるしかない。逃げる隙を作る事ができればそれで良い。 喧嘩しか知らない俺がいきなりこんなものを相手にできるはずがない。まともにやりあったら命が いくつあっても足りやしない。 UMAだかなんだか訳のわからんヤツが腕を振り上げる。ギラリと長く鋭い爪が見えた。 大振りなそれを横に飛び退く事で避ける。 低く構え、見据えた。正面からやりあっても勝機はない。やるなら、隙をつくしかない。 次々と襲いかかる攻撃の嵐を、避ける、避ける、避ける。 なんだ、案外動きは読みやすい、と思ってステップを踏んでいく。 それが油断に繋がった。 足下を良く見なかった俺は石を踏み、奇妙な浮遊感にたたらを踏んだ体がバランスを崩す。 「・・・・・・!」 にたり、と化け物の口元が歪んだ気がした。その後ろで息を呑むフードの男が見える。 あぁ、やばいかも。 思ったが、目の前で腕が振り上げられる光景から、目を離す事ができない。 風が動く。 視界がぶれる。 音が遠ざかり、なのに心臓の音だけがやけにはっきりと聞こえた。 死ぬのか。 ・・・・・・いいや。 死んで、たまるか。 冗談じゃない。俺はタバコを買いに外に出ただけだってのに、こんなところで死ぬ予定はさらさら ない。冗談じゃない。こんなところで終わってたまるか。 ギ、と前を見据え、できるだけダメージを減らそうと身をよじり、攻撃を回避しようと試みる。 急所は避けられても、おそらく負傷する事は防げまい。 そう考えた俺は結構な痛みが走る事を覚悟して衝撃に備えた。 だが。 「ガアァアァアァアアッッッ!!!」 予想していた衝撃はなく、代わりに断末魔が辺りに響いた。 肉を裂く音ではなく、爆発音と共にその死に際の叫びが気分を悪くさせる。ひどく耳障りな音だ。 見てみるとUMAもどきは地面に転がり、その体からはぶすぶすと煙が上がっている。 肉の焦げる匂いが鼻を突き、その異臭に眉を潜めた。 ・・・・・・助かった、のか? 周囲に視線を走らせる。 一体何がどうなった? 「リークス!」 取り敢えず敵対していたものが動かなくなったのを確認して警戒を解いたところで、フードの男の 声が聞こえた。振り向くと、木立の間から人間の形をした影が現れ、近付いてくるのが見えた。 一瞬身構えるものの襲ってくる気配はないようだ。様子を見守る。 知り合いか、と尋ねようとして、俺の時は停止した。不可解さも疑問も何もかもが吹っ飛ぶ。 俺は疲れすぎて幻覚を見てるか。それともここはコスプレ会場の一部だったりするのか。 「またお前か・・・・いい加減に学習くらいしたらどうだ、シュイ」 「仕方ないじゃないか、欲しい薬草がここにあるんだから」 「それで毎回死にかけるのか。馬鹿としか言いようがないな」 「馬鹿だなんて、ひどいよリークス。それにほら、毎回こうして生き延びているじゃないか」 「結果論だな」 雰囲気が親しげ(一方はつっけんどんだが)な事からして、現れたあの男も敵ではないのだろう。 だが、俺は会話の内容よりも、そいつらの外見に目が釘付けだった。 フードの男は走り回っていたせいもあってか、今はそれが外れ、素顔が日の下にさらされている。 第三者の男の顔も、ばっちりよく見える。 その奴らの頭に生えてる耳・・・・・・それが、人間のそれでは、ない、ように、見える、のは。 気のせいか。 しかし視力が無駄にいい俺の目は、網膜に映した映像を忠実に脳へと伝えていた。 奴らの頭に生えている耳は、俺がこうしている間にもピクピクと動き、音を拾っている。 その形は人間のように丸くなく、三角。 そう、ちょうど、人間の頭に猫の耳を生やしたような、そんな形状をしている。 そう、まるで猫耳のような・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ねこみみ? いや、いやいやいやいやいや、待て。俺の視覚神経は破壊されているのか? 俺は目の前の光景を信じたくなくて否定の言葉を重ねた。 「ふん、まぁいい。ところであれは何だ」 「え? あ、あぁ!」 あれ、で俺を顎で示した第三者の男につられるように目をこっちに向けたフードがとれた男は、今 気が付いたというように大声を上げて俺に駆け寄ってきた。 「だ、大丈夫? 怪我とかはしていないかい?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あぁ、」 「知り合いか?」 「いや、さっき逃げてる時に巻き込んじゃって・・・」 いかん、眩暈がしてきた。 俺は情報を伝えてくる眼球に瞼の蓋をして更にその上から片手を添えて視界を完全に覆い尽くす。 ついでにふらついた足に慌てた声が追ったが、そんなものに構っている余裕はない。 猫耳。 まごう事なく、猫耳だ。どうやら残念な事に、俺の目は正常に機能しているらしい。 ・・・・・・勘弁しろ。マジで勘弁してくれ。 「あ、自己紹介がまだだったね。私はシュイ。彼はリークスというんだ」 「勝手に話すな」 この二人は漫才コンビでも組んでいるのか。 打てば響くような会話に素直に感心する一方で、思い切り舌打ちをしたい気分になった。 走った時の息苦しさ、地面を踏む感触、死を感じた恐怖、抵抗、全てが。 俺に夢じゃないと、教えていた。 こんなリアルな夢があってたまるか。 いや、こんな馬鹿みたいな現実があって、たまるか。 しかし哀しきかな、俺はこれを現実だと分かってしまった。理解してしまっている。クソったれ。 「君の名前は?」 タバコを買った後なら清々しいと感じたであろう青い空も、今は俺を苛つかせるものでしかない。 あぁ、いま猛烈にタバコが吸いたい。 そんな俺の心情など知る由もないシュイと名乗る男は、俯いた俺を心配しているのか僅かに心配そ うな色を滲ませて、それでも穏やかな(悪く言うなら気の抜けた)表情で笑っていた。 落ち着け俺。抑えろ俺。さっきこんな事態になったのはコイツのせいじゃないと言ったばかりでは ないか。二言をするのは男ではない。 「・・・。俺の名前は、だ」 なぜ俺はこんな状況に身を置くハメになったのか。 俺は切実に状況打開を望んだ。 そのためには・・・不本意だが、この二人(いや、二匹か?まさかな・・・)に聞くしかないだろう。 「取り敢えず、聞きたい事があるんだが」 だが、淡い期待を込めて尋ねた俺は、予想していた以上に馬鹿げた事態に陥った事を知るハメにな る。 一体これを言うのは何度目だろう。だが俺が思った事はこれに尽きるのだ。 勘弁してくれ。 (07/2/18)