夢の狭間


っ、こっちこっち!」 先を駆けるヒノエが半身だけ振り返り、得意そうな笑みで後ろを振り返りながら手を大きく振る。 ぶんぶんと音すら聞こえてきそうなそれに苦笑しつつ、隣で少し息の上がった声が制止をかけた。 「ヒ、ヒノエ、早い・・・!」 「ほらヒノエー。敦盛の事忘れんなー」 必死にヒノエに追いつこうと頑張っている健気な少年に味方して、遠くまで聞こえるように声を響 かせた。 「あ、悪ィ敦盛」 一人だけさっさと先を行くヒノエを、敦盛はぜえぜえと息をつきながら追いかける。 気付いたヒノエはくるりと向きを変えて駆け戻り、敦盛の手を引いて走っていく。 うんうん、仲が良いっていい事だよね。・・・敦盛の方が年上だけど、まぁそれはそれで。 ほのぼのとしていると、ヒノエから声が掛かった。 「ー!早く来いよ!置いてっちゃうぜ?」 「はいはい、今行くよー」 言って、二人に追いつこうと足を進めた。 ヒノエは6歳、敦盛は7歳。元気いっぱいに熊野を駆け回る姿は見ていて飽きない。 と言うか、あのエネルギーには敵いませんよ。 お姉ちゃん若くないから羨ましいわー。 冗談めかしてそう言うと、呆れたようなヒノエが異を唱える。 「何言ってんだよ。って確か18だろう?若いじゃん。結婚してないけど」 「やかましい。結婚についてはこことは違うって、この前説明したでしょヒノエ」 「そうだったっけ?」 「ヒノエ・・・・。18歳はまだガッコウという所に通う、世間的には子供だと・・・・・」 「忘れた」 「ヒノエ・・・・・・・・・」 敦盛は避難めいた目をヒノエに向けた。 そうだよね、三日前に教えたばっかなのに「忘れた」は無いよね。 じとりと見下ろすと、ヒノエはうっと言葉に詰まってだっと駆け出した。敦盛の手を引っ掴んだま んまで。 「うわわわっ、ヒ、ヒノエ・・・!」 「あ、こら転ぶでしょ!!」 いつしか鬼ごっこへと発展したそれは、それを見た人を笑いへと誘った。 私はずっと夢を見ている。 それにしては現実味ありありだが。 だがこれは私がいつも寝る時に限って起こっている現象であり、それ故に私は夢だと解釈している。 最初はタイムスリップしたのかと思っていたのだが、初日に見知らぬ世界で眠ると元の自分の部屋 で目が覚めた。だからこれは夢だと思う事にした。(んな無茶なと言うなかれ。理解不能な事態の渦 中で細かい事にまで気力を使えない。疲れるだけだ。 それを1ヶ月近く連続して見続けるという離れ業をやってのけるのってどうなんだろうという疑問 が頭をもたげたが、夢なんだから何でもアリさ、という無茶苦茶な論理でさらりと無視した。 彷徨っていた私を(と言っても小一時間ほどだったが)第一に発見したのはヒノエだった。 その後とんとん拍子で、あれやこれやという間に何故かそのままヒノエの家でお世話になっている。 今では熊野の人達とも打ち解けて、楽しく過ごしている。 さすがに「未来から来た」とは言えないので、遠い国から来たという事にしているが。 今はその状況に甘えているが、いずれ話をしなければならない時は来るだろう。 その時が来るまでは、私の胸に秘めておこうと思った。異端者扱いはごめんだ。たとえそれが神の 使いだろうと鬼であろうと、好奇と畏怖の対象となるのはまっぴらである。だがしかし、ここまで 親しくなるとは予想外であった。いずれ自分はここから去る身であり、(それが可能かどうかはひ とまず置いておく)一時的な存在である。遅かれ早かれ別れは来る。それに子供である彼らが果た して理解を示してくれるだろうか。できるならば傷つかずにいて欲しい。そういうものだと割り切 るだけの精神を、彼らは持ち合わせていないだろうから。 以前、冗談めかして熊野はこんなにもいいところなのだから、違う世界から人を呼びたいと、そう 言った事がある。 もちろんこれは情報収集のためである。「私こことは違うところから来たっぽいんだけど、そうい う話聞いた事ない?」と聞くのは得策ではない。 そして彼らは答えた。 「龍神の神子」が訪れれば、是非とも熊野の良さを知ってもらいたいものだ、と。 それを聞いた瞬間、私は冗談だろう、と叫び出したい衝動に駆られた。冗談にも程がある。 そう、私がベッドに入る前までやっていたゲームに、「龍神の神子」が京を救うという和風アドベ ンチャーが舞台であり設定のものがあった。 結論から言おう。 大当たりである。 どういう理由からか、私は眠るとそのゲームの中に入り込んでしまったのである。 無茶にも程がある。 しかもこの世界で眠ると元の私の部屋にいるのだから、本当に何度これは夢だと念じたことか。 今では人間の順応力といささかの諦め、開き直りをトッピングして強かに生きている。 ちゃっかり楽しんでいるのは単なる好奇心からに過ぎない。 「で、今日はどこに行くの?ヒノエ。何かすごく不本意そうな顔してるけど」 「・・・俺としてはあんまり行きたくないんだけどね。どうやら叔父上がウチに来るらしくて、親父  に来いって言われたんだ」 「へえ、そうなんだ。で、何で私まで?」 「親父が連れてこいってさ。何だか会わせたいみたいだぜ、に。全く、親父も何を考えてんだか・・・・」 「ふぅん。そういえばヒノエに叔父さんがいるなんて初耳ね。知らなかったわ。どんな人?」 「会えば分かるよ」 本心から会うのが嫌みたいで、ヒノエは始終しかめっ面だった。(6歳児のする顔じゃない) 私を連れて行くにしても渋々、といった雰囲気で心なしか多少イラついているような。 そんなに会うのが嫌かね、少年。つかそこまで会うのを拒否る人って・・・どんな人なんだ見知らぬ 叔父上さん。 「・・・ま、なるようになるわよね」 ヒノエと手を繋いで、本宮へと歩いた。 「初めまして。僕は武蔵坊弁慶と申します」 にこやかに、かつ友好的にそう言った青年に目を細める。 なるほど、これは確かに一筋縄じゃいかないタイプだ。 いっそ完璧とも言える穏やかな笑みに、優しげに細められた双眸。 笑みを湛える口元は、三日月のように緩んでいる。・・・表向きは。 隣を見れば、ヒノエは眉間に皺を寄せて弁慶から目を逸らしていた。 そんなに嫌なんか、少年よ。 「おや、ヒノエ。そこにいたのですね。お久しぶりです」 「・・・・・・・・・・・・・・・よく言うよ。最初から気付いてたクチだろ、あんた」 だよねぇ。 なのに敢えてそう言うあたりは、さすがと言うか何と言うか。 はヒノエの物言いに同意してこっくりと頷く。 うぅむ、やっぱり喰えないわ、この人。 14という年齢ながらその柔らかな物腰は、少なくとも女房さん方を瞬殺するには充分だったよう で。傍に控えてる彼女たちはさっきからキャーキャーと頬を染めて弁慶を伺ってるし。 どこのアイドルだお前。 素でホストとか向いてそうだ。 普通に裏手で突っ込みたい衝動に駆られるくらいのモテっぷりに感心する。 まぁ、柔らかな物腰と落ち着いた態度、さらには優しげな光をたたえた瞳にやんわりと微笑む口元。 それだけ揃ってりゃ騒がれるのも当然か。 これで同じ14だっていうんだから、ある意味詐欺だ。 というか、こんな中学生は嫌だ。 「ところで、貴女のお名前をお伺いしても宜しいですか?」 「え、ああ、まだ名乗ってませんでしたね、そういえば。  えぇと、初めまして。といいます。弁慶・・・殿」 この時代、普通はこういう敬称つけて呼ぶんだよねぇ? すると鳶色の髪をした(一見)優男はクスリと笑って言った。 「弁慶、で構いませんよ。さん、とお呼びしても?」 「ええ、どうぞ好きなように呼んで下さい」 にこにことそれに応じ、はんなりと微笑む。 うふふ、あはは、と二人して笑ってはいるが、その実腹の底では何を思っているのかは知れない。 互いにそれとは傍目からは見えない様子で探り合う。 すると弁慶の目が楽しそうに歪み、キラキラと眩しい笑みが零れた。(蚊帳の外では黄色い声が一 層高まった) この人は私をまだ警戒してる。けど、あくまでそんな事はおくびにも出さないで。 瞳の中に鋭く光る警戒の色に、唇を吊り上げた。 「さんの様な美しい方に出逢えて光栄ですよ。ここに寄った甲斐があったというものです」 「あはは、私なんかそんな褒められるよううな容姿してませんよー。  でも私も弁慶に会えて嬉しいです。これから宜しくお願いしますね」 「はい、こちらこそ」 だが第一印象というのはとても大事なものであり、猫をかぶる事はすなわち世渡りの術である。 ある程度の良識を持ち合わせた挨拶、自己紹介は一種の防衛戦。印象を下げるよりは上げた方が 今後に左右される局面でもある。初対面でそうそう打ち解ける事など、余程の事態がなければそう ないだろう。ゆえに彼の巧妙に隠された警戒はあまり気にならない。あからさまじゃないだけ随分 とましだ。たとえ思惑は何であろうと、 「ところで、さんが着ているのは・・・・・」 「え?ああ、これ?」 少し腕を広げて自分の服を見下ろす。内心で失敗したと思った。 今着ているそれはここでは珍しいであろう洋服で。 着物に着替えないで来たからなぁ。さすがにここじゃ可笑しいよねぇ。 「まぁ、私がいた所ではこれが普通の恰好なんですど・・・普段は着物を着てます。さすがにコレ着  て外は歩けないですし。ですが御客人の前でこのようなはしたない格好をさらすのは失礼極まり  ないですね。ご無礼、お許しください」 「いえ、気分を害したわけではありませんよ。ただ、この辺りでは見かけないので興味を覚えただ  けです。心配は無用ですよ」 「確かに変わった格好だよなぁ」 割るようにしてヒノエが横から口を出す。赤い視線は私の目をとらえ、面白そうに口端が引きあが っていた。にやり、というのが一番適した表現だろう、その笑み。ヒノエは言葉を続ける。 「ま、それ抜きにしたっては変だけどね」 「はい?」 変って・・・変って。 「ヒノエ、女性に対してそのような物言いは感心しませんね」 「だってってばやらなくて良いっつってんのに、洗濯とか水汲みとかやってんだぜ?  客人なんだから気にする必要無いって何回も言ってんのに全っ然止める気配すら無いし」 「あのね。お世話になる身としてはそうしたいのよ。自分の身の回りくらいは自分でやるわよ。  子供じゃ無いんだから」 そんな図々しい真似が出来る程私は神経図太いわけでも無いしね。 置いてくれるだけでもありがたいってのに、それ以上迷惑かけるわけにはイカンでしょうが。 何もかも他に任せて~、なんて、どこぞのお姫様でもあるまいし。そんな身分でも無いしねー。 あぁ、でも最初の頃は「客人の方にそのような事はさせられません!」とか 「どうぞお止めになって下さいませ!」とか、やたらと反対されてたっけなぁ。 ふっ、それも押して押して押し続けていったらだんだん容認されてったけどね!(押し切ったとも 言う) 「そういうモンか?」 「そういうモンよ。私が好きでやってるだけ」 「やっぱり変わってる」 「ほほう・・・・・そんな事言うのはこの口か?この口かね?ん?」 「いっ、いふぇ!ふぁなふぇよこのっ・・・ふぇんふぇーも見ふぇねぇで、たふけりょ!」 あはははは、よく伸びるわねぇー。ぷにぷにしててやーらかい。 「失礼な事を言うからですよ。さん、僕の事は気にせずに、どうぞ続けて下さい」 「ふぇんふぇい!(こいつ見捨てやがったっ!)」 「あははははははははははっ!」 とりあえず、ヒノエの叫ぶ声はお屋敷中に響いたとさ。 平和ねぇ。 「どこがだよっ!」 (05/09/05) (06/01/06)加筆・修正