憎しみの奥底は血の涙を流し


「どうしたら、いいんでしょう・・・・・・・京の人達は傷つけたくないけど、でも」 きゅ、と唇を噛みしめて苦しげに眉を寄せる、異世界から喚ばれた龍神の神子。迷いと葛藤が入れ 替わり立ち替わりな様子を見て小さく息を吐いた。神子などという重い責任を、まだ少女の彼女に 背負わせるなんてどういう神経してんだ龍神め、と心の中で盛大に悪態を付いて毒づいた。 龍神の神子、あかねちゃんの苦悶に歪む表情に気付かないフリをしてポツリと呟く。何でもない事 のように。どうでもいい事をふと口に出すように。 「あかねちゃんは、どうしたいの?」 私の言葉に顔を上げ、あかねちゃんはまた悲しそうに瞼を伏せ、口を開いた。 きっと色々な事を考えている彼女に、今の私の言葉は届かないのだろう。 「・・・・・・・・・分から、ない」 その声は微かに震えていた。 「と、いうわけなんだけどさ」 「それを私に告げてどうする?」 冷ややかな目線と声。 威圧感と言うかプレッシャーが込められているそれを軽く流して、ヒョイ、と肩をすくめ勿体ぶる ように言葉を濁す。 「いや、別に?」 その返答が多少気に障ったのか、はたまた私の言葉に興味さえわかなかったのか、異世界の京で「 鬼」と称されるこの時代には珍しい金髪碧眼の美青年は何も言わず沈黙した。ひょっとすると意味 が分からず訝しげな顔をしているのかもしれないが、生憎とそれは彼の顔を覆う仮面に邪魔を去れ て確認する事は出来ない。歪められた表情すら目に眩しいくらいの美形なのに、それを拝めないな んて何て悔しい。 「私の正体を知ってなお、そのように考えるなど。神子は甘いな」 「そういう性格なんでしょ、あかねちゃんは。いいじゃない、少なからず気に掛けてくれてるって  事で」 「不要だ」 にべもなく突き返す青年・・・アクラムは、まったく取りつくシマもなしに切り捨てる。望むのは京 の支配。人の絶望。鬼の一族の末裔である彼の望は、残酷で非情だ。そのいきさつを考えると無理 もない。 けれど、だからと言って人間全部相手にして襲うとか操るとか。何と言うか、疲れないのだろうか。 「不毛だと思わないの?」 「・・・何が、だ」 「アンタの計画。たとえ叶ったとしても、アクラム。  失ったものは戻ってこないし、何よりあの子たちが許さないと思うわよ」 何度と無く怨霊をけしかけ、京の都を混乱に陥れても、その度に神子と八葉はそれを鎮めてきた。 イタチごっこどころか、逆に四神を味方にした神子の力は、今や相当である。まぁ、神子の力を上 げるのも彼の計画の内なのかもしれないが。 「あの子はアンタを心配してる。京と同じように、アンタを傷つけたくないみたいね」 「・・・・ならば、お前は何を考えている?私のしている事を理解しているはずだろう」 「別に。好きにしたらいいんじゃないの?」 「何?」 微かな苛立ちと驚きを含んだ声に、視線を合わせず淡々と言葉を紡ぐ。 私にはアンタの考えが分からないけどねぇ。そんな極端な行動に走ったって本当に欲しいものは手 に入らないでしょうに。 「だから、好きにしたら?アンタの気が済むように、何をしようがあなたの勝手。まぁ殺されそう  になったら全力で抵抗させてもらうけどね」 私だって死にたくは無い。つか身に覚えのない理不尽な復讐で殺されちゃたまったもんじゃない。 邪魔してて言えた義理じゃないかもだけど。それでも死にたくないものは死にたくないし。 ザァッと強い風が吹き荒れて木の葉が舞い、音を奏でる。ざわめきが不協和音のように強弱を付け て響き渡り、やがて収まった。 アクラムは呆然としている。そんなにおかしな事を言ったつもりは無いのだが。 あくまで私は私の意見として言ったまでだ。京の人間云々よりは、私は私の身近な人が傷つかない 方法を選択しているつもりだ。元々私にアクラムの邪魔をする権利も義務も無い。が、少なからず あかねちゃん達を気に入っている身としては彼らに味方をしたくなるというのが心情ってもんだろ う。ずいぶん昔に鬼を襲い追い込んだ人間はこの世からとっくに消えているのに、それでも人間に 復讐しようとするなんて不毛以外の何でもないんじゃないだろうか。彼らの鬱憤の捌け口になった 可哀想な京の人間。けれどアクラムはそうする事を諦める気はなさそうだし、さっきも言ったがそ の気持ちも分かる。 人間は自分とは違うものを排除しようとする生き物だ。怖かったのだろう、姿形は同じでも潜在能 力の圧倒的な違いが。それが彼らを迫害する理由になど、決してならないけれど。 好きなようにさせてやる。けれど私はそれを全力で叩き潰すだけだ。巻き込んだのはそっちだから 私も容赦はしない。お互い様ってヤツだろう。そうなった原因を考えると頭が痛いが。 まったく、面倒な事を押しつけてくれたもんだ、昔の人も。 やってらんねぇ、と息をついた所で、ふと視界が暗くなった。 光が遮られ、影が自分を覆ったと思ってふと視線を上げると、目の前にアクラムが立っていた。 何時の間に仮面を外したのか、素顔をさらけ出して。 あぁ、やっぱ美形だなぁなんて呑気に感心していると、唐突に伸びてきた腕に抱きすくめられた。 細身ながらしっかりと筋肉の付いた腕の中で、腰と後頭部を押さえつけられる。 何故こんな体勢になったのか、いまいちアクラムの行動理由が不明だが、取り立てて敵意や殺意と いったものが感じられなかったので好きなようにさせておいた。しばらくアクラムは腕の力を緩め ず、かと言ってどこぞへと連れ去る訳でもなく、そのままじっとして動こうとしない。異性と、そ れも一応敵と密着する程接近していたら普通は慌てるなり騒ぐなりしただろうが、私はつとめて大 人しくされるがまま、と言うかいらん刺激を与えないようにじっとしていた。ヘタに抵抗するとか えって煽るという事を私はよく知っている。こういう時は慌てず騒がず、好きなようにさせておく のが一番だ。もちろん限度はあるが。 でも、さすがにちょっと息が苦しくなってきたというか呼吸しづらくて苦しいかなぁというか、 いい加減この現状をどうにかしたいな。じゃないと呼吸困難で死ぬ・・・・事はないだろうが、苦しい 事に代わりはない。 「アクラム、苦しいからちょっと離れて」 至って平静な声でそう告げると、腰から背に回されていた腕の一本がそこから離れ、頭上でカサリ という音がした。ので、僅かばかり緩んだ拘束に身を捻ると、どうやら先程の強風で飛ばされた葉 がからまっていたらしい。 それならそうと言えば良いのに、と思いつつ口には出さないで礼を言おうと口を開いたら、頭の上 にあった手が落ちてきてするりと頬のラインを細い指でなぞられた。 いや、だから一体何をしたいんですかアンタは。 上を向いたままアクラムの顔を見つめ、(背ぇ高いからなアクラムは)手を振り払う事なく困惑気 味に眉を潜めると、無表情だったアクラムの目に揺らぐものを発見して目を丸くする。 驚くなという方が難しい。 あのアクラムが、人間など下等だとか言っていつも皮肉な笑みを浮かべて神子を追いつめる奴が。 愛おしげに、切なげに瞼を震わせて優しく、優しく。 あるいは懐かしいものでも目にしたかのような、穏やかな雰囲気を纏っているのだ。 これは誰だ。 自身に問う。 これは誰だ。滴る程の蜜を含んだ、甘い香りという名のフェロモンをふんだんに放出するこの鬼は。 これがあのアクラムだろうか。復讐を誓い、冷徹な目で見下ろす、鬼の首領だろうか。とても同一 人物には思えない。あまりにも柔らかく穏やかな顔で、かすかに微笑むこれは誰だ。 「・・・、アクラム?」 躊躇いがちにその名を呼ぶ。自信がない答えを言う生徒のような心情で。 すると、アクラムは元の顔に戻った。いつもの、冷酷無慈悲な鬼の顔に。わずかばかり先程の残滓 を感じさせる目を残していたが、それでもそれは常に見る彼の瞳であった。 アクラムが口を開く。 言葉を、発す。 「・・・――――――・・・・・・」 「・・・・・・え?」 なに。 今、何つった? アクラムの声はあまりに小さく、か細くて、耳に届く事が無い。 問い直そうとした口を遮るかのように、アクラムはスッと私から離れて後ろに下がった。ハッと気 付いて引き留めようと手を伸ばすが、向こうは帰る気満々のようで届かずに宙を泳ぐ。 「いやちょっと待った何て言ったのさっき!アクラム!」 気になる事を置き去りにしたまま帰ろうとするな! 顔を顰めて非難を浴びせるが、それを意にも介さずアクラムはお馴染みのあの皮肉げな笑みを浮か べ、フッと口角を吊り上げた。 何かちょっと小馬鹿にされた気がするんですが気のせいですか。 「次に会う時を楽しみに待っているがいい」 言うだけ言って、鬼の首領はそこから消えた。 あんのマイペース野郎め! 地団駄を踏むが、独り相撲を取っている感がひしひしと身を打ってくるので、諦める事にした。 すっきりしない気分で今までアクラムが佇んでいた場所を睨み付けると、しばらく見つめて踵を返 した。何を考えているんだか、あの時何を言ったのか。きっとそれも、戯れに過ぎない。 アクラムは仮面の中でふっと嘆息し、少女の言った言葉を脳内で反復した。 『不毛だと思わないの?』 「・・・・・さて。それはどうだろうな」 アクラムは一人ごちて微笑した。視線の先には憤った様子で荒々しい足音を立て、帰って行く先程 の声の持ち主がいる。その背を視線で追って、この世界ではついぞ見あたらない、肩のあたりで切 りそろえられた短い髪が、少女が歩く度に揺れる様を観察した。 遠ざかっていく背中はやたらと不機嫌そうだ。中途半端に言葉を切られて相当気に障ったらしい。 それにくつりと笑ってアクラムは目を細めた。 「・・・京も、人も。残らず滅ぼしてくれよう」 そうと誓うように、アクラムは右手に残った一枚の葉に口付けた。儀式のようなその仕草さえ妖し い程に美しく、同時にひどく冷たい。鋭利な刃物を思わせる目で、アクラムは忌々しいものを見据 えた。止められるのなら、止めてみるがいい。 どうせもう後戻りは出来ない。 口元を歪めて、アクラムは今度こそその場から姿を消した。 気まぐれに言葉を交わした、少女の姿と声が脳裏に焼き付いて離れない。 それを振り切るように、あるいはとどめるように、アクラムは静かに瞼を伏せた。 (06/02/09) (06/01/18)修正