血塗れカーニバル


「うおおおおおおおっ!!!」 「っあ゛あ゛あ゛ッ!!!」 怒号の後に続く、おそらく地獄というならまさにこういうものだろうと思ってしまう程の、殺し合 い。星は死ぬ時一番光り輝くと言うが、絶命する直前の咆吼の如きそれは、耳に煩く響いた。鮮血 が草木を濡らし、血の道を作った本人もまた自らの血に濡れてどう、と大地に伏す。 一撃で命を絶たれたのか、倒れた身体がもはや動く事は無い。 そうして何度、絶叫と恐怖に満ちた咆哮を聞いただろう。思い出そうとして、すでに耳慣れた音に 向ける注意は弱い反応を示すばかりである事に探る事をやめる。 一部始終を草陰から全て見ていた私は、ここで一体どうするべきなのか。 人が殺されるシーンを目の前に冷静に頭を働かせる少女は、一連の出来事に対して全く意に介さず 顎に手を当てて考えた。 人が殺された事への恐怖や驚きよりも、それを通り越して麻痺した頭では至極冷淡な思考が生まれ、 まるで産み出された死体など目に入らないように虚ろにも見える態度でそんな事を思う。 斬った相手はすでにここを立ち去った。ならば、と潜んでいた場所から身を起こして大地に流れる 血に触れる。ぬるぬるしていて温かい。日の光に当たってテラテラと光るそれは鮮やかな紅の色を 主張して、鉄さびのようなあの独特な匂いが辺りに広がっていた。 という事はこれは偽物でも夢でもなく幻でもなく。ましてや人工的な血糊でもなく。 散々命を奪う者と奪われる者の攻防を見てきたくせに、この期に及んでまだ現実と捉えられない事 に思ったよりも自分が混乱していると知った。 しゃがんでいた体勢から立ち上がり、事切れた死体に目をやる。 開かれたままの瞳は瞳孔が開き、ピクリとも動かなかった。ここで動いたら動いたで怖いが。 未だどくどくと血を流す人間であったものを見下ろして、頭の先から爪の先まで舐めるように視線 を動かす。もちろんこれが殺人事件だったら私も迷わず即警察に連絡するだろう。あの場で隠れた ままではなく、そっとその場を離れて近くの交番に駆け込んでいただろう。けれどこの両目が映し たのは、殺人は殺人でも殺し合いで、おまけに恰好は何処の骨董屋から持ってきたんだと聞きたく なるような日本製の防具。極めつけに手にはこれまた日本製の刀という、全身骨董づくしのオンパ レード。マニアが遊びで斬り合いもどきをしていたのかと思えばそうとも違う。向かい合う姿は真 剣で、殺気も気合いも決して遊びとは異なる本気のそれ。 そう思ったところで冒頭のやり取りがその瞬間訪れたのだ。生の奪い合いに決着がついたのだ。 濃厚な血の匂いが鼻孔を刺激し、風に乗ってかすかな斬り合いの音が流れてくる。 ここは戦場で。 自分はその中にいる。 そう気付くのにはかなりの死体が生産されてからだった。 見渡せば周囲には他にいくつもの死体が転がっている。 もう一度視線を戻す。 そこにあるのは着物に若干の防具を付けた人間の死体とむせかえる程の大量の血。 そして現代じゃ確実に法律に引っかかる日本刀が無造作に転がっている。 折れていたり欠けていたり血がこびり付いたものなど、さまざまな刀が、そこにある。 落ち武者か賊か、どちらにしろこれだけでは状況を説明する情報は確実に不足している。 これは現実か。 それには「是」と答えられる。 これは夢か。 それには「否」と解答できる。 ならばここは「何処」で「いつ」なのか。 それが分からない。 溜め息をこぼして落ちていた刀を拝借し、適当な布で血と油を拭う。とりあえず身の安全と保障は 必要だ。何事にも。それ以前に死んだヤツが使ってたものだろうが、と言われようが気にしない。 いちいちそんな事に構っていたら生きていけないのは今までの経験上身に染みて理解している。 それは殺し合いではなくもっと軽い危機に対しての経験だったが、細かい事は気にしない。 戦場では生き残ったモン勝ちなのだ。死にたくないから奪ってでも生きる為に武器を手に取った。 それだけの事。 「さて、どうしたものか・・・・・・」 一人ごちて戦場から離れ、鬱蒼とした森の中を一振りの刀を携えて進む。 途中出くわした追い剥ぎやら山賊やらを撃退しつつ、ついでにそいつらから資金を調達しつつ。 (やっぱり奴らは揃いも揃って洋服ではなく着物姿だった) 進むにつれ疑惑が確信へと近付いていくのを感じながら、ただひたすらに人の住む場所を目指して 歩き続けた。 親切心がこんな風に帰ってくるとは思わなかった。 「いらっしゃいませ。ただいまお席をお作りしますので少々お待ち下さい」 現代の飲食店であればどこにでもマニュアル化されているであろう常套句を笑顔と共にふりまく。 何てことはない、ここはとある甘味屋で、決まり文句を口にしていたのが私なのである。 衝撃の殺人現場(と言ってもそれほど狼狽えたりはしなかったのだが)から離れ、さてこれからど うしたものかと歩いていると、前方に道の目立たない所でうずくまっている老婆を発見した。 見つけた当初は軽く目を見開いたが、他の通行人は誰もその老婆に気付いていなかったようなので 声を掛けたのが、私がここにいる理由の始まりだ。 目が悪く、転がっていた石に躓いて杖を落とし、それを探していた所に出くわした私がそれを探す のは当然の流れで、そのまま世間話へと至り、その中から行き先を尋ねられ正直に行く当ては無い と伝えると、ならば一緒に来ればいいと言われてここまで来た。 今から思えば杖を一緒に探しただけの見ず知らずの他人にそこまでして大丈夫なのかと不安になっ たが、人を見抜く力はあるつもりだよ、とやんわり言われ、何も言えなくなったのを覚えている。 「団子を頂けるか」 「また来て下さったんですね、幸村さん」 すっかり常連となった赤い武人に笑みつつそう言うと、赤い武人こと幸村は応えるようにうむ、と 輝かしいばかりの笑顔で頷いた。 彼が笑うと、それだけでその場が明るくなるから不思議だ。こんな笑顔ができる人は、私がいた所 では滅多に見られない、明け透けのないもの。見ていて大変好ましい。 「そういえば、先日は戦に参加しておられたんですね。お怪我はありませんでしたか?」 団子を出しながらそう言うと、幸村はかたじけない、と述べてからこくりと頷く。 「ああ、この通り壮健でござる! そなたは変わりないようで安心いたした!」 これで心おきなく団子が食えるというもの! と意気揚々と団子を食す幸村は、まるで大きな子供 のようで、にわかには戦場を駆ける有数の武将とは連想しにくい。 けれど端整な顔立ちの中に潜む瞳や未だ成長途中の肉体は、それだけの者ではないと語っている。 「旦那、またここにいたの」 「佐助!」 「はいはい。ったく武人がいくら自国にいるからってそんな反応じゃ駄目でしょ」 音もなく気配もなく唐突に現れた男に、幸村は驚く事なくむっとしたように口を尖らせる。 それに一切構う事なく、佐助と呼ばれた男は手早く主に用件を伝えた。 彼は目の前にいてさえ存在が希薄だ。まるで空気や景色に溶け込むように輪郭を捉える事が難しい。 以前、初めて佐助を見た時にはその突然の登場に驚いたものだが、幸村がすぐに自分に仕える忍だ と明かし、かの忍を脱力させたという話はそう遠い過去ではない。 「こんにちは、佐助さん」 「やっほー、お嬢。また旦那が押しかけちゃって悪いねぇ」 「いえいえ、こちらとしては沢山買い付けて下さるのでありがたいですよ」 相乗効果で他のお嬢さん方がお店に来てくれるし、というのは心の中だけに留めておく。 「ほら、旦那。お館様が呼んでるんだからさっさと動く!」 「むっ。し、しかし団子がまだ・・・・・・」 「包んで行かれれば大丈夫だと思いますよ、幸村さん」 「まことか!?」 「はい。少々お待ち下さいね。今用意しますから」 「ほんと悪いねぇ、お嬢」 「いえいえ、お気になさらず」 その場を離れながら、また戦になるのだろうか、とぼんやり思う。 あんなに慌てたように城へ向かうとは、余程の何かがあったのだろう。もしくは、戦ではない何か 重大な事が起こったのかも知れない。 つらつらとそんな事を思いながら、けれど自分にはあまり関係の無い事だとも思う。 彼らがお館様や領地を守りたいと思うのと同じように、私は私を拾ってくれたこの店の夫婦を守り たいと思っている。要は彼らが最優先事項で、それに勝るものがないと私自身知っている。だから 第一に思ったのがここが巻き込まれないかどうかであり、正直に言えばこの国がどうなろうと夫婦 や幸村さんたちが無事でいればそれでいい。 戦ともなれば幸村もまた腕を振るい、刃を血で染め地面に赤い雨を降らせ自らもそれに染まり、ど こもかしこも赤く戦場を駆けるのだろう。初めてここに来た時に見たあの光景の中にするりと入っ て溶け込み、違和感なく景色の一部となるのだろう。 たとえ刃を振るう度にそれが重みを増していく事を知っていても。 「お待たせ致しました」 「かたじけないでござる」 「んじゃ、とっとと行くよ旦那」 「ああ」 「幸村さん、」 私はこの国がどうなろうと興味はない。 けれど、それを守ろうとしている彼の笑顔は、時折孤独に苛まれる私にとってささやかな光であっ たので。 「また、いらして下さいね」 笑顔と共に、そんな事を言ってみた。 ------------------------ そうしたらまたあの満面の笑みで了解した幸村さんは手まで大きく振ってまるで犬のようだった。 (07/07/01)