その盟約、不履行につき
「お姉様ぁ――――――!!!!」
その大声、もとい叫び声に驚いて読んでいた本を思わず閉じる。ああ、しおりを挟む暇もなかった
せいでどこまで読んだのやら分からなくなってしまった。
微妙にやるせない気分になりながら、閉じてしまった本を脇にどけて襲撃にそなえる。
「姉様っ!!!」
そうして飛び込んできたのはこの国では王位継承権第一位の立場にある、正真正銘のプリンセス
である。プリンセスがどういう部屋の入り方をしてるんだ、という突っ込みはしてはならない。
もはや日常であるからだ。つまり、言うだけ無駄、馬の耳に念仏。今更の事。
そんな険しい顔をして乱入してきた破天荒なプリンセスに顔を向け、声を掛けようとした、が。
「アイリーン・・・・・・どうし、」
たの、と続くはずの言葉は途中で切れる。
ソファーに座っていた私に思い切りタックルをかましてくれたので肺から空気が一気に消えた。
ぐほっ、などという声はかろうじて上げなかったが、呼吸が一瞬止まってくらりと目が眩む。
一瞬後にきちんと空気を確保して、お腹の辺りにへばりつく王族、アイリーンの頭に手をやる。
咎められるはずの王族にあるまじき振る舞いも、苦笑ひとつで許してしまう私は大分毒されてい
るなぁと思いつつ、だからと言って咎める気はさらさらないのでその思いを溶かして消す。
血の繋がりが一滴も無い私を姉と慕う子供を、どうして可愛がらずにいられるだろう。
果たして今回の襲撃も、苦笑ひとつで許諾し黙認された。
「もうっ、私は普通の生活がしたいのに! どうしてお父様やお母様はああも勝手なのッ!!?」
もうヤだ―――ッ!!!と連呼するアイリーンの頭をよしよしと撫で、溢れ出る不満にふむ、と
思考を切り替える。容赦なく締め付けてくるので少々痛いが、まぁ妥協しよう。
どうやらまたアイリーンの思いと両親の思いがぶつかり合い、押し問答になったらしい。よくあ
る事だ。しかし、同時にこれ程怒りを引きずっているのも珍しいと首を傾げる。
これもいつもの事だが、アイリーンにとって不満な結果となったらしい事もこの状況を見れば一目
瞭然。この怒りようを見たら嫌でも理解できるが、如何せん話の流れが分からないので聞き役に徹
する。
「何かあったの? 随分と今日は腹立たしそうだけど」
「そりゃあったわよッ! 確かに取引を持ちかけたのは私だけど! だからって1000万Gはないで
しょう!? しかも25日で! あぁもう〜〜〜〜!!!」
叫びながら甘えるという、ある種器用な事をしながらアイリーンは捲し立てていた口を閉じてパ
タリと大人しくなった。おや? と腹の上にある頭を見下ろすと、ブツブツと何やら呟いているの
が分かる。言いたい事はまだまだあるらしい。
仕方ない、落ち着くまでしばし待とうか。
ここはギルカタールという国の王宮。砂漠の中に位置するこの国の中心に私は暮らしている。
しかし私はアイリーンと違って王族でも無ければこの国の人間ですら無い。
生まれも育ちも地球生まれの日本育ち、父と母、弟の四人で慎ましく暮らしていた一般人である。
けれど18年間でその生活は終わった。別に家に強盗が入ったとか事故に遭ったとかいう類では
無い。
私はアイリーンに召喚されてしまったのだ。
この世界では魔法が当たり前のように存在している。
ギルカタールではあまり魔法は頻繁に見かけないが、他の国ではメジャーである。
なんとモンスターなるものがいるという世界とあっては魔法のあるなしで生存率が遥かに違う。
だから大抵の人間は魔法を習得し、身の安全に備えている。
王族であるアイリーンも例に漏れず魔法を会得する勉強をしていたのだが、彼女は異常な程魔力
が高いらしく、ある日、発動中の魔法が魔力の暴走により限界を超えてしまった。
彼女なりに魔力の暴走を抑えようと奮闘したが、まだ幼かった彼女に強大すぎる魔力を制御する
事は難しく、その魔法は失敗に終わった。
その結果が私の召喚である。
けれどそれだけでは終わらなかった。
人を一人呼び出すという大技をやってのけたにも関わらず、アイリーンの魔力はまだ渦を巻いて
力の出口を探していた。
そうして制御しきれなかった魔力は、術者に反動として跳ね返った。
緑色に鋭く光る風の刃となって、それがいくつもアイリーン目掛けて飛び掛かっていったのだ。
魔力の暴走によって溢れ出した力はアイリーンを中心にして周りを飛び交い、いわば台風のように
なって周りの人間を一切近づけさせなかった。それが変化して突如アイリーンに襲いかかったのだ。
そのせいでアイリーンの傍には召喚された私しかおらず、襲い来る刃に対抗できる者はいなかっ
た。周囲の人間が咄嗟に駆けつける事も突然起こった魔力の変質に対処する時間も無かった。
私は自分の身に何が起こったのか分からずにいた。当然だ。風に包まれたと思ったら次の瞬間に
は見覚えのない景色の中に立っていたなどと、すぐに理解できるはずもない。
けれど目の前に幼い女の子がおり、何か鋭いものがその子目掛けて襲いかかってきている事だけは
一部冴えた思考が感じ取っていた。普段は勘が鋭いわけでも何でもないのに、人間とは不思議だ。
そうしてそれを不思議に思う暇も無く、魔力の刃は一気に牙を剥いた。
「っきゃああぁあああぁぁ―――ッ!!」
「ッ! お嬢様ッ!!!」
耳に入ってきた声に。
肌で感じた空気の動きに。
感覚が告げた悪寒に。
条件反射だった。
考えるよりも先に体が動いていた。
思考が追いついてきたのは随分と後、体中に走る痛みの自覚とフェードアウトしていく意識の中で
か細いながらも必死に声を上げる女の子の声が聞こえてきた時だった。
頬に当たる感触は石か、とどうでもいい事を思った時、その声だけが聞こえたのだ。
そうして女の子が泣いている事に気付いて、「・・・・・な、かなぃ、で・・・・・・?」それだけ言って私
は意識を失ったのだと、かの家庭教師から聞いたのだが覚えていない。そんな事言ったっけか?
話によると私はアイリーンを抱きかかえ、覆い被さるようにして庇っていたらしい。あれだ、車
に轢かれそうになってる犬猫を咄嗟に庇う的な感じ。私も無茶をしたもんだが、まぁ生きてて良
かった良かった。
おかげで死にかけたけれども王女の命を守ったという事で私は一応の信用というか風当たりが5パ
ーセントくらいは減った。
アイリーンの両親も元を正せば娘が引き起こした事故に巻き込んでしまったという事で王宮での
滞在が認められ、事情が周囲に知れるとあからさまに見下す目や発言は無くなったものの、裏で
は影が絶えなかった。
その後、私の出自が異世界だと知れると、周囲はともかくアイリーンは青ざめた。
しゅんとして「ごめんなさい」と繰り返す子供の姿は痛々しい以外の何でもない。
「気にしなくていい」と私が言っても、アイリーンは落ち込んだままだった。
そこで王が言った。「事態が解決するまでを我が養子として迎え入れる」
当然論争が起きた。
得体の知れぬ娘を王の養子になどと、狂気の沙汰だ。けれど王ならびに王妃は意見を変えなかっ
た。養子にはするが王位継承権は与えない。子の責任を親が担うのは当然だと。それに異世界で
の技術や知識をこのまま手放すのは惜しいとも言った。
それは立派な行いに見えたが、真相はすぐに読めた。ギルカタールは表と裏の世界ではない。
むしろ裏9割表1割だ。それだけが理由ではないと私にも分かったが、不審者が一転し王の身内
となると手は出しにくくなったのか、表向きの効果は抜群だった。この国は身内を大事にする。
もしも王族の身内に手を出した事がバレてしまえば、とんでもないしっぺ返しが待っている。
結局、内心でどう思おうが納得するしか無かったのである。
こうして私は異例の王族の身内という身分を手に入れ、アイリーンという妹を得た。
あれから数年。もうすっかり姉妹として定着した現在では、アイリーンが「姉様」と言って私に
甘えるという行動は慣習化し、私自身もギルカタールに馴染みつつあった。月日とはかくも流れ
去るのが速いものだ。
「取引をしたの? 王・・・・じゃなかった、父様と? それとも母様と?」
「両方・・・・・・」
「両方?」
ぽとりと落とされた声に目を丸くする。
驚いた。父ならまだしも、母と取引をするなんて。
王よりもギルカタールらしいと誉れ高い王妃と取引とは、それだけ拒否したい事があったのか。
「25日間に1000万G稼げば婚約しなくていいって言われたけどッ! でも無茶じゃない一度
もお金を稼いだ事もないし元手もゼロからってどういう嫌がらせ!?」
愚痴が復活したアイリーンを再び宥めながら、なるほど婚約か、と頷く。
ギルカタールという国は悪人ばかりの国で、国民の職業も頭に悪徳という代名詞が付く呼称だらけ。
イカサマや暴力、殺人だって日常茶飯事。それがギルカタールのお国柄だ。
アイリーンは王位継承権第一位だから、その相手もギルカタールらしい人柄が求められる。
というか、そういう人間しかここにはいないのだから求めるも何も無いのだが。
けれどアイリーンはギルカタールの王族にしては考え方が異なり、「普通」に重点を置く。
囚われていると言ってもいいくらいに「普通」に拘り、頑として譲らない。
けれど立場がそれを許さず、アイリーンはこうして何度も葛藤しながら生きてきた。
その主張も今回ばかりは許されそうにもなかったのだろう。取引は苦渋の選択だった事が窺える。
「私は『普通』の結婚がしたいのッ! いくら何でもこれは横暴だわッ!」
そう締め括ったアイリーンは、機嫌が悪そうにボフボフとソファーを叩きながら憤りを露わにし、
ふるふると肩を怒らせながらぐっと拳を握った。
「婚約者と恋愛すればいいんじゃない?」
「その相手がコレでも姉様はそう言えるッ!?」
バッと目の前に突き出された紙を受け取り、目を通す。どうやら婚約者候補の名を記したものの
ようだ。上から視線を滑らせていくが、頭に痛みを感じて思わず唸った。
「・・・・・・すごい顔ぶれね」
何と言うか、これは・・・・・・。・・・無理じゃないか?
こうも曲者が勢揃いとは、さすがプリンセスの婚約者候補。判断基準も段違い過ぎて笑えない。
並べられた候補者の名前をもう一度しっかり確認して、痛む頭を抑えた。
「ほらっ! これじゃあ期限内に1000万G稼ぐしか方法なんか無いのよ卑怯だわッ!」
今度は深くアイリーンに同意する。吼えたい気持ちは良く分かる。分かりたくないのに分かって
しまう。これは誰と婚約してもアイリーンの理想とは真逆な上に・・・・その後がどうなるか、非常
に想像しにくい。いや出来ると言えば出来るのだが、想像したくない。
「でも、頑張れば取引に勝つ事は出来るんでしょう? 手出ししたら駄目だと言うならアドバイス
だけでも出来るし、やれる事からやっていくしかないね」
「うん・・・・。やっぱり外に出てモンスター倒してくしかないのよね・・・・・・。はぁ」
「そうね、元手が無いならまずはそれで稼いでからの方がいいんじゃない?」
無難な線を考えるとやはりそれが一番いいのではないだろうか。
戦闘するのは初めてだが、やっていくうちに慣れてレベルも上がるだろう。
まだ実戦に出ていないアイリーンには荷が重いかも知れないが、婚約者候補は手練れ揃い。同行
に付き合って貰えばそれほど危険な状況には陥らないし、万が一があってもチェイカやアルメダ
という護衛がいる。命を落とす事もないだろう。
そんな事をつらつらと考えていると、ふとアイリーンと目が合った。無表情かつ無言でじーっと
見詰める様子に少し首を傾げると、アイリーンは「そうだわッ」と言ってがしりと私の両手を掴
んだ。そのあまりの勢いに少し上体を後ろへと引く。
「姉様も一緒に行きましょうっ!!」
「はぁッ!!?」
至近距離でそうのたまった妹はいかにも名案だとでも言うように笑っている。怒ったり元気が無
いよりはマシだが、妹よ、君は今なんと言った?
「だって姉様も外へ行った事がないでしょ? 街中は自由に外出してたけど外壁からは出た事なか
ったじゃない。いい機会だと思うの」
「待った待った待った。確かに私は砂漠へ出た事はないけど、なんでそんな結論になる?」
「だって姉様も実戦の経験が無いんじゃいつ何が起こっても対処しきれないじゃない。それに・・・
この国で、いくら探しても見つからないんじゃ、他の国で探してみるしか無いでしょう?」
方法。十中八九、それは私を異世界へと渡す方法だった。
もちろんギルカタールは懸命にその方法を探してくれた。(たとえ思惑が何であろうと)
けれどそんな突拍子もない事など、そうそう見つかる訳がない。当然、ギルカタール国内にそれ
が無いと知れると他国へ情報収集へ赴いたりもしたのだろう。そうして数年。現状は変わらずに
私は今もここにいる。
アイリーンも分かっている。分かっていて口にしている。既に調査が国外に及んでいる事を。そ
うして何の成果も挙げられていない事を良く知っている。
だけどきっとこの子は覚えてしまっている。ここに来たばかりの私が零した言葉を。
「だから・・・・・・」
言い募るアイリーンの語尾が段々と萎んでいく。この話題は彼女にとってあまり良くないものだ。
責任を感じてくれるのはとても嬉しいが、だからといってアイリーンにこんな顔をさせたい訳で
はないのに。
私は苦笑して握り締められた手を少し下ろした。
それに気付いたのか、アイリーンは伏した目を再び上げて私と目を合わせる。
眉尻を下げて困ったように、怯えたように上目遣いで見上げる様はまるであの時のようで懐かし
さに内心で笑った。あの頃から変わっていない。何か私に対して後ろめたい事があるとそうして
何かを窺うように首を竦める癖に、この子は気付いているだろうか?
けれどそんな事を考えているとはおくびにも出さずに意地悪く笑う。
「アイリーンはまだまだ寂しがり屋の甘えっ子ねぇ」
「なッ! ち、違うわよッ!! ただ私は姉様の事を考えて・・・・・ッ!」
「はいはい、しょうがないから付き合いますよ、私のお姫様」
「だから―――!」
不意打ちの言葉に緩んだアイリーンの手を解いて両頬を軽くつねる。
そのまま緩く引っ張ると顔が引きつれて強制的に言葉を封じられ、アイリーンはうーうー唸るが姉
は笑っているだけだった。さっきまでのシリアスは何処へ行った、という雰囲気にアイリーンは微
妙に遣りづらい心地になる。
この姉はどこか鋭いから、自分の思いなどきっとお見通しなのだろう。あの頃よりは顔に出さない
自信はあったのに、募る罪悪感にもきっとこの姉は気付いている。
なのに気遣わせてしまった。情けない。本当なら恨まれても仕方ないのに、こうして己を受け入れ
てくれ、あまつさえ姉と呼ばせて貰っているというのに、気にしないでいいと言ってくれる。
こうして心を守られるのは何度目だろう。
別の意味で泣きそうになりながら、こんな姉だからこそ本当は離れてしまいたくないと考える浅ま
しい己を何度叱咤しただろう。
異世界になど帰したくないと、ごめんなさいと繰り返す言葉の裏で何度も思っていたと告げたら、
姉はどう思うのだろう?
大好きな家族なのだ。だから傍にずっといて欲しい。
離れるのが考えられないくらい、アイリーンの中では根を張り花を咲かせていた。
それほど、大切な存在なのだ。
・・・・・・けれど、さすがにつねりすぎ&笑いすぎではなかろうか。
アイリーンが段々と己を取り戻しそう思った頃、相変わらず笑って人の頬で遊んでいた姉はつねっ
ていた手を離してぽんぽんと頭を撫でた。アイリーンは昔からこれに弱い。何故だか姉にこうされ
ると昂ぶっていた感情や気分が落ち着くのだ。大丈夫だよ、と言ってくれているようで安心できる。
けれど、真剣な話をしていた所に先刻の悪戯をされ、アイリーンはちょっと拗ねた。
何だか悔しかったのでアイリーンはぷいっとそっぽを向いたのだが、部屋からは出ていこうとしな
い。何とも分かりやすい。
また笑い出しそうになる己を何とか抑えて、は撫でていた手をぐしゃりと掻き回した。
驚いて両手を頭にやろうとするアイリーンより速く、告げる。
「ありがとう、アイリーン」
変わらない妹の思慕に、何度救われたか分からない。
願わくば妹が幸せであるようにと、心から祈った。
・・・・・・けれどその相手が相手じゃそれも望めないな、と思ったのは内緒である。
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わぁ、書いてしまったアラビアンズ・ロスト!
取り敢えずプロローグはこんなもんで。
(07/07/29)