日記ログ
七夕。それは離れ離れになった織姫と彦星が年に一度だけ逢瀬を許される日である。
シムカは空をじっと見上げ、小さく息を吐いた。
折角の七夕だというのに、上空には雲が多く出ており、僅かな隙間がかろうじて小さく光る星を地
上に届けているばかり。天の川どころか星すら見えない。もちろん雲の上まで行けば見る事は出来
るのだが、そういう問題ではないのだ。
ただ、折角の一日だけの邂逅なのだから、せめて晴れていて欲しかった。
「織姫ちゃん、かわいそー」
しみじみと呟き、あーあ、と拗ねたように雲を睨む。
「お邪魔虫はお呼びじゃないのよー」
どこかの屋上で膝を抱えて座るシムカは、唇を突き出して言う。
さほどロマンチスト思考を持っているわけでも無いが、会いたいのに会えないという焦れったい思
いや憤りには少しだけ共感できる。
普段、滅多に会えない、という事。
顔を合わせられず、言葉すら交わせない、という事。
その切なさは、少しだけ分かる。
分かるからこそ、それを遮る雲に文句を言いたくなった。
だからそんな言葉がシムカの口から出て来たのだが。
「それは、悪かった」
「!?」
突然聞こえてきた声にバッと首を巡らせ、シムカは声の主を見つけると目を大きく開いて固まった。
何故なら、さっきまでシムカの胸中を過ぎっていた人物がそこに立っているからだ。
独り言に反応があって驚いたのは最初だけだった。
今はなかなか相見える事のない人と視線を合わせている喜びと、その人物を彦星とイコールで結び
つけて考えていた事に羞恥を覚える。
何より声を掛けられる前に発していた自分の言葉を回想して冷や汗が流れた。
何というタイミングで声を掛けられたのか。
彼はそのつもりは無かったのだろうが、しかし、それにしてもあんまりではないか!
シムカの言葉と、彼が言った言葉。
それらを総合して考えれば、彼が何を思ってそう言ったかは容易に想像できる。
それはシムカにとって不本意すぎるすれ違いだ。
「ち、ちがっ! あ、貴方が邪魔なんじゃなくて、雲ッ! 雲の事!!」
「・・・ああ、成る程。だが、ここで星見をしていたんじゃないのか?」
「別に誰かと約束してここにいる訳じゃないわ! そ、それに、丁度一人だけでつまんないな~っ
て思ってた所だからっ」
「・・・・・・そうか」
どっくんどっくん、と暴れに暴れる心臓に思考を乱されながらも、シムカは懸命に言葉を紡ぐ。
勘違いされてなるものか、とばかりに。
先程シムカの言葉をそのままの意味で捉えれば、印象は決して良い方にはとらわれない事は明白。
一人でつまらない云々は今、咄嗟に考えついた事だが、ここで彼に勘違いをされるよりは余程いい。
むしろナイス機転、自分! と褒めてやりたい。
(ビックリした、ビックリした! な、な、何で、ここに彼がいるのよ・・・!?)
どこにいようが彼の勝手と言ってしまえばその通りなのだが。
「隣、いいか?」
「へっ?」
「誰とも約束していないんだろう? ・・・それとも、一人でじっくり見ていたいか? なら無理強い
はしな、」
「全然OKよッ!」
「・・・そうか」
言葉尻をぶった切ってしまったが、引きずり込めばこっちのものだとばかりに、シムカは有無を言
わせぬ笑顔と声量の二重攻撃でそれ以上の言葉を封じた。
手を伸ばせば届く距離に彼がいる。それがひどく嬉しくもあり、同時に動揺を生む。
緊張してしまい、咄嗟に下を向いたシムカだったが、ふと頭上が明るくなった事に何事かと顔を上
げた。
「あっ・・・・・・」
そこにはいくつもの星が煌めいていた。
先程まで空を覆っていた雲は嘘のように消え、今はその姿を見つける事の方が難しい。
彼が来た途端、逃げるように雲が引いた事に、まるで良く出来た映画のようだとシムカは思った。
邪魔をするなら退けるまでだ、と言わんばかりに雲を薙ぎ払う彼の姿がイメージ出来る。
それがあまりにも『彼らしい』と感じて、シムカはくすりと笑った。
だからかもしれない。こんな戯れ言を聞いてみたくなったのは。
「ねぇ、もしも織姫と彦星のように、大好きな人と離れ離れになったら・・・・・・どうする?」
二人を隔てる大きな距離を、彼はどう埋めるのだろうか。
彼は少し考えるそぶりをして、さぁ、と呟いて空を見上げた。
「そういう状況になってみないと分からないが、まぁ俺は俺のやりたいようにやるんじゃないか。
多分」
「・・・多分なの?」
「実際になってみないと分からない」
「・・・じゃあ、・・・・・・・・・じゃあ、私がもし、遠くへ行く事になったら、・・・どうする?」
ヒュウ、と二人の間を一陣の風が通りすぎる。
シムカの静かで、だが苛烈さを帯びた瞳は、既に夜空を映してはいなかった。
沈黙が続き、二人の間を駆け抜けていた風が止む。
「・・・シムカが望むなら、連れ出すだろうな。全部かっさらって取り戻す」
「・・・え・・・・・・」
今度は風は吹かなかった。
星空から視線を外した目が、シムカへとゆっくり向き直る。
月光に晒されたその顔が、静かに、そっと・・・・・笑みを作る時でさえも。
まるで自分たちの周りだけ時間が止まったように、世界はただ無だった。
・・・・・・・・・・・・と、いうのがシムカが今朝方見た夢の全容である。
「なんであそこで目が覚めるのよ―――!!? そりゃ笑った顔が見られたのは嬉しいわよっ!
でもでも、よりによって何であそこ!!?」
「いや、僕に言われても・・・」
「ああああ、も――――――!!!」
朝からずっと同じ事を聞かされているスピット・ファイアは少々ぐったりとしていた。
自分にはどうしようもない上に、八つ当たりまでされてはたまったものじゃないだろう。
しかも同じ内容を延々と、朝から、ずっと、である。
それは目が覚めたシムカ自身の所為じゃ、と突っ込んではいけない。
もれなく痛い目に遭うからだ。
だから夜・・・奇しくも今日は七月七日、まさしくシムカが夢で見たシチュエーションである・・・にな
っても、文句は下火になるどころか地獄の業火に成長してスピット・ファイアの精神と体力をガリ
ガリと削る。
「せっっっっかく、いい雰囲気になって『さぁ、これからは二人のじ・か・ん(はぁと)』ってト
コだったのにィ~~!! 何で目覚ましなんてモノがこの世にあるの!!?」
もはや文句は関係のないところにまで飛び火している。
繰り返すが、朝からずっと同じ内容を聞かされているスピット・ファイアは、いい加減に限界だっ
た。深酒した訳でも頭部に損傷を受けた訳でもないのに、頭が痛い。
だから、つい、うっかりポロッと言ってしまった。
「そんなに悔しいなら、短冊に今日の夢の続きを現実で再現して下さい、とでも書けば良かったじ
ゃないか」
スピット・ファイアが自らの失態に気付いて理不尽な暴力を受けるのは、数秒後。
(08/07/07)