日記ログ in彩雲国


例年にない猛暑に朝廷内の人間がばったばったと倒れ、中央としての機能が麻痺している真っ最中 の事である。あの胡散臭い・・・・いや、朝廷三師である霄大師が一人の男を連れてきて強引に戸部へ 配属した。 吏部の人間は「なんでこっちに回さないんだ畜生!」と思わないでも無かったが、それ以上に精神 がちょっと崩壊し始めているのでそれほど騒ぎにはならなかった。むしろ騒ぐ暇があるなら仕事を しろと檄が飛ぶ。 その人間、男は戦場さながらの朝廷の雰囲気に少し眉を潜めたかと思うと、無表情で戸部のトップ、 黄尚書に向き直った。 「指示を」 その淡々とした態度に多少思う所があった鳳珠だが、猫の手も借りたい状況の今、そのような事に 時間を割く余裕は無い。 取り敢えず資料の返却と新たな資料の貸し出しを言付け、男が頷いて室を出て行くと、仮面の中で 鳳珠はひっそりと溜息を吐いた。 そして。 「・・・・なぁ、尚書さん」 燕青は手を動かしながらも鳳珠に声を掛けた。 「・・・・口を動かす暇があるなら手を動かせ」 「いやそれは分かってるんだけどさ」 ポリポリと頬を掻きながらうーんと唸る燕青に、鳳珠は嘆息する。 「あの新入り、何者?」 今度こそ鳳珠の眉間に皺がよった。仮面で他人に見える事は無いが。 「・・・・ただの臨時だ」 それ以外に何がある。 「そうだけどさ、気付いてるか? あいつ、誰よりも仕事さばくの早いぜ」 「なに?」 気付けば、なるほど確かに仕事を処理する速さは時間を追う毎にその間隔を短くしている。 とはいえ仕事は次から次へと降ってくるので量は変わり映えしないが、それでも溜まり続けている 訳ではない。 「あいつ、ここはこうした方が効率は上がるとか、何か色々と助言してるみたいだ。特に新人に」 そして助言を受けた者は、明らかに仕事のスピードが上がっている。 鳳珠は初めて霄大師が連れてきた男に興味を持った。 そしてさらに数日後。 鳳珠はその男が一度も疲れの顔を見せていない事に些か驚いた。燕青ですら時折疲れたような表情 をするのに、彼の顔色は一貫して無表情のまま。そして、彼が動きを止めている様子も同じく見る 事はなく。 「・・・・・・・・臨時で入った、そこのお前」 「はい」 振り返る顔には、やはり疲労の色は見られない。 「最後に休憩したのはいつだ」 「一度もありませんが」 実にあっさりと返ってきた。ちなみに男がここに放り込まれて五日である。 「申し訳ありませんが黄尚書、仕事が溜まっておりますので失礼してよろしいでしょうか?」 「あ、ああ。ではこれもやっておいて貰いたいのだが」 「かしこまりました」 既に彼の両腕にはどっさりと書簡が積もっている。 しかし彼はそれに顔を歪ませる事もなく追加書類をひょいと抱えた。あの細腕のどこにそんな力が。 「ああ、それと黄尚書。あちらとそちらとむこうとその奥は全てやっておいたので、そこの荷台に 乗せておいてください」 「荷台?」 見ると、何やら木の板に小さな車輪がついたものが鎮座している。そして他の官吏がそれに処理済 みの書簡をどっさり奥と、木の板から続く棒と、その先にある取っ手をつかんで前に押した。する とそれはまるで流れるように床を滑り、あっという間に出て行く。 「・・・・あれは?」 「作りました。あれなら円滑かつ素早く大量の書簡を運べるので」 驚いた。いつの間にあんな物を作る余裕があったのか。 それが一日と経たないうちにそれが戸部のみならず全ての各部に行き渡る事になるとは、さすがの 鳳珠でも予想出来ない事であった。 だがそれは、あくまでもおまけの話で、鳳珠は更に興味深い話を聞いた。 ある草案を目にした男が、なんと即興でその改善点や必要経路、その他諸々を意見したというので ある。 初めはその無表情と言いしれぬ圧迫感に不審を抱いていた官吏たちだったが、さりげなく差し入れ をしてくれたり、忙しかったら仕事を手伝ってくれたり、なのに文句の一つも言わない彼を尊敬し 始めていた。 何をしても「気にするな」としか返さず、挙げ句「休め」と言い放つ彼の存在に、朝廷は僅かなが ら息を吹き返した。 (08/04/05)加筆修正