ある紳士の幸運


女王陛下の狗として裏の世界を渡り歩く。 この家に生まれたからにはそれは宿命なのだと、幼い頃から理解していたし努力もしてきた。 時には残酷とも言える手段を使ったのも一度や二度では無い。そのツケが回ってきたのだろうか。 護衛を影から襲撃され、丸裸のキングとなった自分に容赦なく襲いかかる銃弾に為す術も無くただ 走る。だが真夜中の裏路地、しかも銃声が響いているのだから辺りには人通りなど無い。助けを求 められる訳もない。もしも人に会うのなら、それは間違いなく自分の敵でしかありえない。 走りながらではその銃弾は当たるはずもないと分かっていたが、かといって優勢という訳でも無い。 所持していた銃はとっくに弾を吐き出し尽くして、道路のベッドへダイブさせていた。 油断しているつもりは無かったが、状況はそれに近いものを己に突きつけている。どうしようも無 い。走り続けるしかない。しかし、それももう限界に近付いていた。 (くそ・・・ッ! 追いつかれる!) 目立つ場所へ逃げ込む事も出来ず、打開策を弾き出そうと必死に思考を巡らせるが、どれもこれも 決定打になりそうもない。 いっそ確立の低い博打に打って出ようか。あまりの勝率の低さに笑い出してしまいそうだ。 あまりに頼りない手持ちのカードに絶望する。 その時だった。ふ、と目の前の道が開ける。横にあった壁が唐突に姿を消し、T字路に入ったのだ と悟る。 そして、まるで交差する道に飛び出した自分を待っていたかのように、見知らぬ男が自分を静かに 見つめている事に気付き、ハッと全身に緊張が走った。 挟み撃ちか! と一瞬で絶望感に襲われたが、一向に男はこちらに敵意も殺意も、それどころか何 の動作も無くただそこにいる事にふと小さな疑問が湧く。こうして向かい合っていても何の動きも 無いという事は、自分を追いかける連中ではないのだろうか。それとも油断させる為に敢えてそう しているのか。 咄嗟に状況を読み込めずにいると、男の傍にもう一人、2人目の男がいる事に気付く。 夜に映える銀髪の男。 こちらも自分を見ても何の反応も示さず、関心の無い目を自分に向けている。 思わず戸惑って動きを止めると、ふいに男がその銀髪の男に顔を向け、つい、と視線を動かした。 彼はその視線を当然のように受け止め、音も無く一歩前に踏み出した。どことなく不愉快そうにそ の男は闇に包まれた路地を見据えている。銃声が聞こえていない訳では無いだろうに、臆する事無 くさらに足を進めていく。 ・・・・・・・・・・・・銃声。 「・・・・・・・・・・ッ!!」 そこでようやく追跡者の存在を思い出し、こんな時に何を呆然としているのかと心の中で己を叱咤 しつつも、頭は冷静に対処方法を弾き出して口が逃げろと彼らに告げようと開く。だが己の口は結 局何の音も発さなかった。 何故なら、流れるような動作で前に出た男が、あっという間に追跡者たちを倒してしまったからで ある。それもごく短時間のうちに、いともあっさりと。 呆然と一連の展開をただ見つめるばかりだった。 2人は何事も無かったかのように声を掛け合い、まるで取るに足らない事のような態度で平然とそ こにいる。 頭の中は疑問だらけだった。何故彼らは何も言わず追跡者を掃討したのか。彼らは何者か。 常に危険の渦中に身を置く人間として、この疑問を放り投げておく訳にはいかなかった。だが不思 議と敵であるようには感じられない。 自分でもその感覚に戸惑っている自覚はある。だが立場上、それだけを根拠に彼らを無条件で受容 する事はどうあっても出来ない。 ただ一つ言える事は、自分は彼らに形の上では助けられ、真意はともかくとして守られたという事。 だが、何故そこで彼らが自分を庇うのかが分からない。真意は何なのだろう。 どう出たものか困惑していると、「大丈夫でしたか」と声が掛かり、ますます混迷した。 だが、彼らをここで素通りする訳にもいかない。連中とつながりがあるかもしれない上に、どこに どんな影響を与えるのかも分からない。一度関わったからには易々と彼らを見失う訳にはいかなか った。 どうしたものか一通り悩んだ挙げ句、咄嗟についた「夜会に参加して帰る途中、暴漢に馬車と御者 を襲われ逃げ回っていた」という嘘を盾に、彼らを屋敷に招いて持て成しという形で一時的に拘束 し、彼らの身柄を徹底的に調べ上げる事にした。 だが調べても調べても、彼らの素性は頑として出てこない。 ・・・・・・一体、何がどうなっている。 疑惑が頭をもたげ、こうなっては本人達に直接聞かなければなるまいと決心し、会話の中でそれと なく出身やこれまでの経緯を聞き出す事にした。そうしなければならない程、情報が無かったのだ。 しかし、これにも答えは無かった。 いや、正確には答えられない事こそがその答えだった。 すぐにその事実に気づけなかった自分を殴ってやりたい。そう、ここ英国において表の機関でも裏 の機関でも素性が他に知られないようにしている理由など、一つしか無い。 すなわち、女王陛下のシークレット機関だ。 それならば彼らが自分に手を貸したのも納得がいく。本来ならば見送るのがベストの状況で、彼ら が姿を自分の前に晒したのは他でもなく、自分が窮地であったからだ。いつものように周りを護衛 していたのなら彼らもそのまま素通りしていただろう。 ああ、何という事だ! そんな簡単な事に気づけなかっただなんて! 自分の未熟さ故に彼らを軟禁に近い状態にしていたにも関わらず、彼らは好きなようにさせていた。 時折物言いたげな視線はその状況に対する文句ではなく、自分が一体いつその事実に気付くのかと 観察していたのだ! あまりの失態に目眩がしたが、ここで倒れてしまう訳にはいかない。 何とか気を持ち直し、次に自分がどうするべきか考えた。 調べていて分かった事だが、彼らには表の素性を示すものが何も無い。今まで敢えてそうしてこな かったのか、決めかねているのかは分からなかったが、養子にならないかと話を持ちかけてみた。 予想はしていたが、案の定良い顔はされなかった。・・・どうやら、自分たちの事を見抜けないよう な力量しか持たないのに何故、と思われたようだ。 ・・・・・・そう思われても仕方ない。もしも自分が相手の立場だったら呆れるだろう。 だがしかし、彼らは辛抱強く私の言葉の続きを待ってくれた。そして自分は女王陛下と関わりがあ る事と家名、そして自分が現当主である事を告げると、しばしの熟考の後に首肯し、提案に賛同し てくれた。 ホッと胸をなで下ろしたが、安心するのは早かった。 彼らはおいそれと素性を明かせず、そのために一部の親族から養子にする事への反対と不満の声が あがったのだ。 まぁそれは予想内の事だったのでこちらで対処したのだが、彼らは自分たちとは別にビジネスを立 ち上げ、市場を獲得していった。勿論、表では派手に動けないので裏の、それも深い所ではあった が確実に勢力を広げていった。 だがそれと同時に時は移ろう。年を取ると、朧気にでも自分の終わりを嫌でも肌で感じ取れた。 彼らの素性は息子達にも話していない。これまでひた隠しにしてきたが、いつ自分が死ぬかも分か らない状況にある以上、それも限界が近付いていた。 ある日私は彼の義弟として生まれた次なる当主、ヴィンセントを呼び出した。 「お前に・・・私が死ぬ前に、伝えておかなければならない事がある」 そこで私は初めて彼らの全てを他者に話した。 彼らの素性、その特殊性、自分たちとの関係性、そして・・・重要性を。 そしてこれが肝心だ、と最後に告げる。 「これ以上彼らをここに拘束してはならない。あまりに我々と接しすぎた・・・。恐らくこれ以上ひ  き留めては支障が出るだろう」 「そんな・・・・・・ッ!」 「ならばお前は、彼らを窮地に追い込みたいと望むか?」 「っいいえ! いいえ、いいえ・・・・・・!! 違う! 違いますッ! そんな事は有り得ない! でもッ」 幼い頃から彼らを兄と慕ってきたこの子には、辛い言葉だろうと分かっている。だが言わねばなら ない。この子は知らなければならない。 愛する家族を失いたいと思う者はいまい。だが、その心こそが彼らに不利益をもたらすならば話は 別だ。愛すればこそ、手放さなければならない。背を向け、耳を塞ぎ、目を閉じて無言を貫きなが ら、心で想い続ける他ないのだ。再び手を伸ばす事は、もう出来ない。そしてその未来は、必ず近 い内に現実となるからこそ、・・・どんなに納得がいかなくとも、頷かなければならない。 他ならぬ彼らを想うのであれば。 「恐らく、我々が行わずとも彼らなら・・・準備はしているだろうが、手配をしておきなさい。それ  が、次の当主となった時のお前が最初にやるべき事だ。・・・その事を、しっかりと心に刻んでお  け、ヴィンセント」 「・・・・・・ッ、・・・・は、い・・・!」 「・・・・もう、下がって良い」 退室する息子の背を見送り、窓の外へ視線を移す。 彼らを手放したくないのは他ならぬ自分自身であると、自嘲の笑みを力なく頬に浮かべながら。 ------------------------------------------------- 女王陛下のシークレット機関は捏造です。信じちゃいけません。 なまじ、そういう世界に身を置いてるモンだから変な方向に頭が働いちゃった紳士の勘違い。 この噛み合ってない歯車をどうしたもんか。 ヴィンセントはシエルのパパンです。一応念のため・・・。 あぁ、ちなみに養子にしましたよーって事を女王に報告してません。 夢主から連絡があるんだろうと思って余計な事はしないでおこう、と思ったから。 だから夢主、女王には伯爵の身内だと思われてて、伯爵には女王の騎士だと思われてます。 そういう訳で、勘違いはどこからも修正が入らずにズルズルと誤った認識のまま突っ走ってます。 誰か止めてやれ。気付け。夢主は立派な不法入国者だ・・・。 (09/07/31)