閉ざされた真実
「還内府って、先生知ってますか?」
唐突に問い掛けられた内容に、はしばし瞬きをしてその間に情報処理を済ませる。
一方でそんな質問をぶつけてきた教え子の一人、春日望美はじっとを見上げていた。
「突然、どうした」
「あ、ごめんなさい、いきなりこんな事言って。ただ、あの、平家側にそういう人がいるって弁慶
さんが教えてくれたんです。亡くなったはずの、平重盛が怨霊として復活したって・・・・・・」
喰えない、というよりも読めない態度を崩さない人物を思い浮かべて内心で「厄介だ」と息を吐く。
大勢と行動している時だろうが少人数でいようが、ふとした瞬間に向けられる肌をチリチリと焦が
すような視線がは苦手だった。
正面から思い切り殺気の類を向けられるよりは数段気が楽なレベルだが、触れて気持ちの良いもの
ではない。
「さぁな。ここは俺たちの知る歴史とはかなり食い違いのある世界だし、俺の知識が当てになるか
は知らないが。・・・・・・平清盛に唯一意見できた、温厚な人柄だったらしい」
「そうなんですか」
「こっちでもそうなのかは分からないけどな」
一応、釘を刺しておく。思いこみをしていざその場面に立ち合った時、混乱していては行動に支障
が出るからだ。
それに、良い例が周りにいるから念を押した俺の言葉も、割とすんなり理解できるだろう。
なんせ話題の弁慶がアレだ。屈強どころか吹けば折れそうな優男。ただし外見だけ。源氏を率いる
九郎義経にしたってそうだ。なんだ、あの美丈夫。義経はあんなに身長高くなかったはずだぞ。
「やっぱり先生って何でも知ってるんですね!」
「いや、有川譲に聞いた方がもっと詳しく分かるんじゃないか。俺も当たり障りのない事しか知識
としては持っていない」
「それでも、何も知らなかった私よりはすごいです!」
素直に自分の知らない事は知らないと、口に出来る。俺にしてみたらそっちの方がすごいと思うぞ
人間ってなかなか自分のマイナス面を認めようとしないから。
熊野の川を増水させていた怨霊を封じ、暑さに弱い現代組(と、いうより高校生組)の避暑として
今は穏やかに流れる川に集まる連中に視線を向ける。
神子、と望美に懐きまくる幼い神に引かれ、源氏の神子こと春日望美は再び川遊びに興じていた。
たまには息抜きも必要だろうという事で実現した訳なのだが、何故だかメンバー全員集合している
のはどんな偶然が成せる技なのか。
まぁ、望美の性格を考えれば当然の成り行きとも言えるのだが。
「先生」
「・・・有川」
「先生はいいのか? 行かなくて。冷たくて気持ちいいぜ」
「・・・いや、俺はいい」
「・・・・・・・・・そっか」
木陰に腰を下ろしているに倣って、将臣も同じく腰を下ろす。
リラックスしている空気が流れる中、二人の間に会話は無かった。ただ沈黙だけが二人を包む。
内心で首を傾げたのはだ。
普段の将臣なら無理矢理にでも巻き込んで川へ引っ張り込んでいきそうなのに、今日は大人しい。
どうしたのだろうか。ちらりと脳裏の片隅で考えてみるが、連動して違う事を思い出してしまった
は思考を打ち切った。
それは、先程まで会話にあった重盛という単語。
どんな人か聞かれ、乞われるままに知識にあった重盛像を答えていったのだが・・・・・・さっきの会話
で、口にしていなかった事があった。
言うべきか、言わざるべきか・・・・・・葛藤した挙げ句、結局望美は白龍に引っ張られていったので、
それを告げるタイミングを逃した訳なのだが。
まぁ、言わなくて正解だったのだろう。知る必要の無い事だ。実は、重盛が・・・・・。
「ありがとな、先生」
「・・・何がだ」
「ははっ、嬉しいけど、とぼけんのはナシだぜ先生。・・・・・・言わないでくれて、ありがとな」
「言う必要が無かったから言わなかっただけなのに、礼を言われるとは不思議な事もあるもんだ」
「・・・・・先生にとってはそうでもさ。・・・まぁ、とにかく。サンキューな、先生」
にかっと、屈託のない笑顔を向けられる。だが、俺は居たたまれない思いだった。誤魔化す為に手
を有川の頭に伸ばし、そのままぐしゃりと髪を乱す。
わしゃわしゃと掻き交ぜてやれば、慌てた顔で文句を言われた。
「ちょっ、ガキじゃねぇんだからッ!」
「年下っていう時点で子供扱いする理由には十分だろう」
「ひっで! 俺もうハタチ過ぎてんだぜ?」
「だからどうした。俺より年下っていう事実は変わらない」
子供扱いをして、ついでに生徒扱いをする。二十歳を過ぎたばかりの身で、還内府という立場はあ
まりに重い。平家も何もなく過ごせれば良かったのだろうが、有川は有川の選択の上で今こうして
立っている。仮定も放棄も無意味だ。その提案を有川は受け入れない。ただ、こうして時々は重荷
を考えさせない時間を与えてやるしかない。
忘れるのではなく、今だけはその事を考えないように。
有川は忘れる事は望まない。自ら望んで背負うと決めたのだから。
けどな、有川。感謝なんてされる覚えは本当に無いんだ。
純粋に告げられる言葉に、言われた俺の方が罪悪感でいっぱいなんだ。
実を言うと、質問をされた時に言ってしまおうかと思ったのだ。よくよく考えれば、もしもそれが
有川の耳に入ってしまった場合、有川が何を思うのか・・・・・先を読む事を忘れて。
だから、そんな眩しい笑顔を俺に向けないでくれ。良心が痛い。笑顔が引きつる。
「・・・・・じゃあ、ガキはガキらしく振る舞ってやる、よッ!」
言葉と共にぐいっと腕を引っ張られ、勢いのままに立ち上がる。そのまま強制的に足を進めさせら
れると、目の前にあるのは川。進む足は止まらない。ならば当然、行き着く先は。
「・・・有川ッ!」
「そーらよ、っとぉ!!」
ばしゃあああん、という水しぶきの音と、全身に感じる水の冷たさに息が一瞬止まる。
周囲の慌てた気配をどこか遠くに感じながら、俺は水の洗礼を浴びていた。
有川、俺は折角口を閉ざしたのにその仕打ちがこれですか。
内心で悲しいやら虚しいやらで嘆くが、まぁ暴露しようとした内容を考えればそれも仕方ないか、
と思う。
俺だっていくら自分と別人とはいえ、その生まれ変わりと言われる身の上になり、そんな事を言わ
れれば・・・・・・数日は落ち込むかもしれない。
春日望美には言っていなかった、俺の知る重盛という人物についての逸話。
うら若き女子高生に告げるにはちょっと抵抗感を覚える、とある話。
平重盛は、後白河院の愛人だった。
そういう話が、現代には残っている。
ある貴族の男が牛車に乗っている時、女性が乗る女車がその行く道を遮った。
無礼だとして中の人物をあらためた貴族が見たのは、なんと重盛の息子。
なんで男が女が乗る車に乗ってんだ、と突っ込む余裕は貴族にはない。当時平家は花開く真っ盛り。
平家じゃないなら人じゃねぇと言われた時代だ。しかも相手は重盛の息子。なんてこった。
貴族は必死に謝った。謝罪に謝罪を重ねた。きちんと誠意を見せてごめんなさいと謝った。
けれどしかし、重盛は怒った。怒髪天を衝いた。重盛の心に復讐の二文字が浮かんだ。
そんな重盛がどんな行動に移ったかというと、貴族が再び車で道を通る時を狙い、車を襲った。
それは事件が起こって三ヶ月の事。どんな執念だ平重盛。息子の為に何でそこまで平重盛。
しかも襲って何をしたかというと、その貴族の髻を切ったのだ。何という事を。そんな事した
ら冠をかぶれる訳がない。落ち武者もいいところである。なんて酷いんだ平重盛。
普段はとても温厚で出来た人間だと言われていただけに、周囲は驚いた。そりゃービックリした。
あの重盛殿が!?
普通なら上から何らかのお叱りを受けるはずであった重盛は、しかし何も罰を受ける事は無かった。
そう、普通なら、時の権力者、後白河院がきちんと始末を付けるべきである。
ところが重盛は許された。普通なら許されないところを許された。
・・・・・・・・・つまりは、そういう事だ。
歴史書がどこまで真実を語っているのかは知らないが、現実にこれを記したものは実存している。
歴史の授業がこんな事を教えてくれる訳もないが、逸話としてきちんと残されているのだ。
こちらの世界の重盛が、そうだったのかは知らないが。
願わくば違っていて欲しいと、彼の名を借りて生きる生徒を見て深く思った。
ああ、水が冷たい。
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重ねて言いますが、これは実際に逸話として現代に残っているお話です。
ええ、事実なんです実存しているのは。そしてこんな話が書かれているのは。
びっくりですよね。最初ゲームをやった時この話思い出して吹きましたよ。
周囲も驚く豹変ぶりだったそうです。重盛に一体何があったのでしょうね・・・。
そりゃー花の女子高生には言えんわ(笑)
あ、髻というのは、要するに侍で言うところの、ちょんまげ。
つまりは髪の毛。結い上げて冠の中に入れるため、長さが必要。それを切ったのです重盛は。
何という鬼畜。
(08/06/14)