狂った予鈴の機械音


わけ、分かんねぇ。 将臣は今の状況がさっぱり分からずに顔を歪めた。内心は感情の嵐だ。恐怖、不安、混乱、様々な 思いが交錯して一つ所に留まらない。 地面にへたり込んで一向に動けない体と思考。取り敢えず手が石や木の枝に当たって痛いので後ろ に伸ばして体を支えていた手を放す。改めてあぐらをかいた状態で地面に座り直し、呆然と周囲を 見渡した。一切覚えのない景色に再び思考が困惑する。 ・・・・・・本当に、何だっていうんだ。 「有川」 「ッ!?」 疑問と共に少しの恐怖を感じた時、耳に届いた低い声に驚いて肩を跳ね上げる。 するとそこにいたのは、将臣にとって見慣れすぎた人物。 「、先生・・・・」 「無事か?」 「あ、あぁ、取り敢えずは、平気だ・・・・です」 思わず素の口調で返してしまった事に気付いて、語尾に敬語を取って付ける。いくら相手がまだ若 い教師だからって、タメ口は無いだろう。 文章的におかしな返答を返した将臣に、その教師は何事も無かったかのように口を開いた。 「ここは学校じゃないみたいだし、別に敬語じゃなくても良い」 「・・・・そ、ですか?」 「ああ」 ホッと肩の力を抜く。同時にこの状況で不安になっていた心も少しだけ軽くなったのを感じて、大 きく深呼吸をした。誰かが傍にいてくれた事を、こんなにも有り難く思った事は無い。 「あの・・・・・・」 口を開こうとして、将臣はの鋭くなった目に言葉を呑み込む。 「せんせ、」 「有川。俺が良いと言うまで、そこから動くな」 何を、と言おうとした口は、空気を吐き出すだけで終わる。次の瞬間、先生が素早く立ち上がり、 何か武術の型のような構えをとったからだ。 一方の将臣は何が起きているのか分からずに戸惑い、動くに動けなくなる。先生は一体、何をしよ うというのだろうか。っていうか、何してんだ? その疑問は、存外早くに氷解された。 「おい、殺されたくなかったら、有り金とその着物を置いていけ」 「へっへ・・・・ついてるよなぁ、アンタ。こんな所で俺らに会えるなんてさァ」 ・・・・・! 将臣は目を見開いた。明らかに人相の悪い男の集団が先生を取り囲む。将臣には彼らがどうしてあ んな格好をしているのだとか、どうしてこんな事になっているのかだとか、それらがさっぱり理解 出来ずにいた。しかし、それでも分かる事が一つだけある。先生! 一気に焦りが浮かぶ。 今はまだこの状況がよく分かっていないが、先生が危ない事だけは分かる。 きっとあいつらが近付いている事に先生は気付き、そして囮になったんだ。 俺が、いたから。 「・・・・・・。」 「おい、何してんだ、さっさとしろよ!」 「本気で殺されてぇのか、あぁ?」 チャキリ、と先生の喉に刃が向く。・・・・・・何で、日本刀なんだ。 将臣は昨今滅多に目にしない凶器に目が釘付けになる。 男達の格好といい、刀といい、一体こいつらは何なんだ。 「黙ってねぇで何とか言えよ、あぁ?」 「怖くて何も言えないだけかァ? おい、いい加減に」 様々な不審点に思考を占拠された脳に、ヒュッ、という音が届く。 それに気を取られた瞬間後、バキリ、と骨がぶつかる音が響いた。思わずびくりと身を竦ませると、 目にとんでもない光景が飛び込んでくる。将臣は呆然とその光景に見入った。 マジかよ・・・・・・。 見れば先生は、取り囲んでいた集団を素手で殴り倒しているではないか。涼しい顔をして、けれど その拳に容赦は無い。一切の迷いも躊躇いも、人を傷つける恐怖すら先生の顔には浮かんでいない。 そこにいるのは、ただ、流れるように人を地に沈めていく、先生で。 「おい」 「ガッ、ぐぅ・・・・っ」 「知っている限りで、俺の質問に答えろ」 だけどやっぱりその姿は、決して教師には見えない。おいおい、生徒の目の前で暴力沙汰をやらか して良いのかよ、教師だろアンタ。 そう思ったが、しかし先生のあまりの迫力に、結局は口を噤んで大人しくする事を選択した。 何となく、今の先生には逆らってはいけないような気がしたのだ。 将臣のその直感は、ちなみに決して間違ってはいない。 「せんせー、取り敢えずこんなモンで良いか?」 「ああ、十分だ」 どさどさと火の付けやすそうな枯れ木やら枯葉やらを落とす。些か乱暴なそれに、しかし一切咎め る事のない先生は、慣れた様子でそれに火を付けた。 つくづくこの先生は教師離れしていると思う。どこでこんなサバイバル術を身に付けたんだろう。 「有川」 「ん? え、わっ、・・・・っと!」 短い呼び声に顔を上げれば、目の前に突然投げられた物体を慌ててキャッチし、息を吐く。何かを 投げ渡すなら、そうと初めに言って貰いたいのだが。 思わず目を細めれば、先生はフッと薄く笑うのみで、将臣の睨みを簡単に受け流してしまった。 ちくしょっ、何か負けた気がする。 先生が強盗まがいの連中から(無理矢理)聞き出した情報によると、どうやらここは俺たちの知る 現代とは全く異なる時代である事が判明した。聞き出した単語から読み取れたのは、大体ここが源 平合戦よりも少し前の時代だという事。 けれどそれが分かったからといって、今の事態が好転する訳ではなかった。むしろ知りたくなかっ た気もする。だってそんな場所なら、一緒に流された望美や譲は。 自分には先生がいた。だからあの強盗まがいの連中に殺される事も無かった。けれど、もし、あい つらが同じような目に遭っていたら。 嫌な想像に背筋が冷え、思わず腕を握り締めると、落ち着いた声が降ってくる。 「有川」 「っ!? え、あ」 「気掛かりな事があるんだな」 疑問ではなく肯定の言葉に、将臣はぎこちなく頷いた。誤魔化そうとも思ったが、妙に鋭いこの先 生は将臣の偽りなど簡単に見破ってしまうだろうから。 だから一緒に流された幼馴染みと弟の事、途中まで一緒だったが離れ離れになってしまった事など を出来るだけ詳細に話した。 先生はそれを黙って聞いていた。パチリ、と炎の爆ぜる音だけが将臣の声に相槌を打つ。 やがて全てを話し終えると、先生はゆっくりと顔を上げ、口を開いた。 「探すにしても、今は無理だな」 「っ、なんでだよっ!? ここは危険だってアンタも分かってんだろ!? だったらっ!!」 「落ち着け。危険だからこそ無闇にウロついてもこっちが先にやられるだけだ。まだしっかりとし  た情報だって手に入れてない状況で、迂闊に動けば先に死ぬのは俺たちだ」 「・・・・・・・・・っ!」 「・・・・何も探さないと言ってる訳じゃない。頭を冷やせ。焦るな、不安がるなとは言わないけどな、  探すこっちが先に死んだら意味が無い。・・・・・大丈夫だ。お前の事はちゃんと守ってやる」 ・・・・・・くそ。 冷静な言葉に、自分が今いかに焦り、子供じみた事を言っていたのかを痛感して黙り込む。 先生は大人で、自分はこうして守られているだけの子供に過ぎないと、まざまざと突きつけられて しまった。初めの時もそうだ。動けなかった自分。俺を守るために自ら危険に身を晒した先生。 何も、出来なかった自分。 「―――っ」 「・・・・・・・・・どうした?」 唐突に立ち上がった俺に、先生は相変わらずの無表情で俺を見上げた。 「ワリ。ちょっと、頭冷やしてくる」 「おい、」 先生が何かを言いかけているのが分かっているのに、俺はそれを振り払って逃げ出した。 あれ以上あそこにいるのは何だかいたたまれなかったし、何より恥ずかしかった。 ・・・・・・だっせぇよな、俺。先生に八つ当たりしてどーすんだっつーの。 頭をがしがしと掻いて溜息。あー、何か悔しいぜ。こういうのが年の差っていうのか? 何か敵わ ない気がしてまいるぜ。 やれやれと自分を反省してあてもなく歩いていくと、何やら篝火のようなものが目に入った。 次いで聞こえてくるのは、何やら人の話す声。 ―――どこからだ? 興味を引かれて歩いていくと、やがて壁のようなものが見えてきた。その上からは壁から少しはみ 出した建物の屋根らしきものが見える。屋敷のようだ。今は平安末期かそれを過ぎた頃らしいから 多分貴族か何かの家だろう。 「・・・・・・。」 ・・・・・・少しなら、覗いてみてもいいか? もしかしたら何か食べ物とかもあるかもしれない。サバイバル生活で木の実や魚くらいしか口にし てこなかった。それだけでも十分満たされた環境にいるのだが、自分は勿論先生にも何か食べさせ てあげたい。 そろりと近付いていった将臣だが、どこからか「誰だっ!」と鋭い声が掛けられた。慌てるが突然 の事に固まってしまった将臣は、あっけなく不審者として捕らえられてしまい、身動きがとれなく なった。自分の行動に後悔が押し寄せるが、後の祭りである。 先生・・・・・・。 どうしよう、と申し訳なさと後悔と不安が押し寄せるが、今の将臣にはどうする事も出来なかった。 運の良い事に、自分の容姿が死んだ息子にそっくりだと気に入られ、屋敷に招かれた将臣だったが 物思いに沈む毎日を迎えていた。 幼馴染みや弟の事は勿論、黙って姿を消す形になってしまった先生。 勿論探したのだが、闇雲にこの屋敷を探していたせいで、自分が元はどこにいたのかすら、将臣に は分からなかった。 そんな状況での居場所を特定する事など到底無理な話だった。 歩ける範囲内にいた事は間違いない。けれど「頭を冷やす」と言って戻らない将臣に、先生は何を 思ったのだろうか。 「先生・・・・・・」 考え無しだった自分の行動を、迂闊だったといくら反省してみても、先生は見つからない。 拾い主である清盛に捜索を頼んではみたものの、火をおこした場所が見つかっただけで、肝心の先 生本人の姿はどこにも見つけられなかったそうだ。 はぁ。 深く息を吐く。衣食住に困らなくなった代わりに将臣が見失ったものは、あまりに大きいものだっ た。見知らぬ土地に見知らぬ人間に囲まれて生活するというのは、どうにも違和感がある。 特に将臣にとって心配事を抱えている状況であり、行く末すら見えない事態がそれに拍車を掛けて いた。気を張る毎日が続く。家の人は気遣ってはくれるが、不審の目を向ける者も多い。 将臣は初めて迎える「一人」という孤独を知ってしまい、心身共に疲労感が溜まっていった。 そんな悶々とした日が一日一日と積もっていく、ある日。 将臣は何かに呼ばれたような気がして後ろを振り返った。 「・・・・・・?」 しかし目に映るのは、垂れ下がっている御簾だけ。 気のせいかと思ったが、やはり自分を呼ぶ声が聞こえて将臣は顔を引き締めた。 このところ部外者で身元もろくに知れない自分を殺そうとする動きがあり、自然と将臣にも警戒が 板に付いてきた。今回もその類かと思い、慎重に御簾へ近付く。 「・・・・・・。」 息を詰めてタイミングを伺っていると、ふいに御簾が大きく揺れ、手が伸びてきた。 驚いた将臣は咄嗟に後ろへ身を引くが、相手の方が早い。手首を掴まれて強引に前に引き摺られる。 「っち・・・・!」 掴まれていない方の手で相手を殴ろうとしたが、それを読んでいたのかあっさりとその腕も掴まれ て動きを封じられた。両手をとられた形の将臣は蒼白になる。これでは剣で斬りつけられても、自 分は腰の剣すら抜けないままばっさりと斬られてしまう。 ところがその心配は杞憂に終わった。 「有川」 「・・・・せん、せい?」 なぜなら、聞こえてきたのは鍔なりの音でも何でもなく、妙にそれが懐かしく感じる声だったから だ。落ち着いた低い声。顔を上げればそこにいるのは、紛れもなく。 「、先生・・・・・」 「ったく、探したぞ有川。どこで迷子になったかと思えば、まさかこんな所にいるとはな」 しかも結構いい生活送ってるみたいで何より、と先生は笑った。その顔は皮肉げに歪められていた けれど、明らかにほっとしている様子が見て取れるもので。 ああ、先生だ、と将臣は改めて実感し、力を抜いた。同時に掴まれていた手首も解放される。 「先生、」 続けようとした言葉は、しかしまたしても当の本人、先生に制され遮られた。 いささか乱暴に肩を突き飛ばされ、体勢を崩す。聞こえてきた刃が交わる音に、将臣はハッとして 上半身を跳ね上げた。 「やめろ知盛!!」 月明かりに照らされて光る刀。さらにその刀が反射する光に照らされて、知盛の笑う顔が見える。 そうだった。ここは知盛の室からも近い。恐らく聞き覚えのない声に知盛は侵入者か何かが来たと 思ってここまで来たのだろう。決して将臣の為ではない。このところこいつが暇を持て余していた のは十分知っている。どうせ平家の内部にまで侵入してきた先生を、そこそこ楽しめる相手だと思 って喜々としてやって来たに違いない。 たとえ来たのが先生じゃなくて本物の刺客だったとしても、それで将臣が傷を負おうが「お前が弱 いからだろう」と一笑するに決まっている。何て嫌なヤツだ。 「クッ・・・・。こんな、夜に・・・・気配を感じて、来てみれば・・・・」 「そいつは俺の先生だっ! 前にも話しただろう知盛! 剣をおろせって!」 「クッ、これが、お前の師、だと・・・・? 随分と、剣に慣れているようだが・・・・・・?」 くつくつと笑う知盛の顔は、確かに愉悦の表情が浮かんでいた。目を奪われる。見る者が見ればそ れは美しいものだろう。けれど美しいものがいつも善いものであるとは限らない。今の知盛はまさ にその状態だった。残酷故に美しい、血に飢えた獣のよう。ギラギラと研ぎ澄まされた光は、触れ れば途端に身を裂いてしまうに違いない、狩る者の目。将臣は背筋が震えた。 「やめろ!!」 「さて、それは・・・・この男次第、と言っておこうか・・・・・・」 珍しく生き生きとしている知盛に、それを指摘する余裕など無い。完全に剣を交える気満々の知盛 に、将臣はを庇おうと立ち上がった。 けれど。 「っ!?」 「・・・・・・室内で物騒なものを振り回さないで貰おうか」 先生の静かな声がしたかと思えば、ギリギリと押し合っていた刃がふいに弾け、先生は刀を持つ知 盛の手を打った。ガシャ、と刀が床に落ちる。それを足蹴にした先生は、まだ知盛の腰にささった ままの残りの一本を奪い、鞘を抜いた切っ先を知盛の喉元に突きつけた。 一瞬の出来事に、将臣も知盛も呆然とするしかない。 「有川。今に落ち着くまでの経緯とこの物騒な男が誰なのか、簡潔に説明しろ」 この緊迫した状況を自分で作っておきながら平然とそれをぶち壊し、そんな事を聞いてくる先生に、 俺は頭が痛くなって説明も何もかもをぶん投げたい気分になった。 なんでそんな余裕なんだよ、センセー・・・・・・。 しかし呟きは声に出る事無く、やはり将臣に胸中に秘められたまま、溜息となって吐き出された。 全ての事情を話し終えた時、先生は平家に居座る事になった。 生徒を放って教師が務まるかとか色々理由を並べていたが、将臣にとっては願ってもない事。今で は将臣にとって心を落ち着ける事の出来るかけがえのない人であり、知盛にとっては良い剣の相手 であり、あれで意外と子供好きらしい先生は、帝の遊び相手になったりしていた。 それは、清盛が死亡し、世に怨霊が蔓延る前の、確かに存在していた平和な暮らし。 歯車は容赦なく、確実に狂い始めていた事になど、気付かないままに。 ―――ゆっくりと、世界が壊れる音が響いては消えていった。 -------------------------------- サブタイトルは「俺の生徒に手を出すな」・・・・・ぬ~●~! 続きません。多分。「先生」と呼ばせたくて書いた突発ですから、所詮。 だから先生、先生、と至る所で書いてあるんです。ふはは。 グルナードはこの時点ではいません。 多分、神子たちに付き合っていく中で偶然神扱いされてるグルナードに出逢うんですよ。 四神とは別枠で、すごく偉い神なんだけど、もちろん白龍の要望には「NO!」 でも夢主には従順。いつものパターンです。 後は特に考えてません。皆様お好きに想像して下さいませ。 突発って後先考えずに書けるから楽だわー・・・・。 (08/03/31)