黙殺された真


クゥがイッキの後を追っての傍から飛び去った少し後。 スピット・ファイアは静かにに近付き、適当な所で立ち止まった。 「・・・いつもながら、神出鬼没だな」 感心しているようで、その実ただの独り言に過ぎないそれにスピット・ファイアは苦笑する。 言うだけ言って相手がそれをどう受け取るかを窺っている訳ではない。ましてやそれを観察する訳 でもない。その反応事態に興味がない彼は、いつだってその視線を誰にも合わせずにいる。 この問いかけですら、彼にとっては意味のないものだろうに。 律儀なのか別の理由があっての事なのか、それはスピット・ファイアにとって与り知らぬ事だ。 「それを貴方に言われるとは、・・・・・・」 続きを言おうとして途中で口を閉ざす。 口から出ようとした言葉を紡いだところで、会話の先が無くなる事は見えている。 無駄な問答をするよりも、スピット・ファイアはさっさと本題を口にする事を選んだ。 「・・・そういう貴方は、らしくありませんでしたね。手を貸すかと思いましたが」 だから不自然に会話を断ち切って、別の話題を持ち上げる。 紡がれる事の無かった先の言葉が何であるのかさしたる興味がなかったのか、あるいは音にせずと もそれを見越していたのか、彼はそこにじっと佇んだまま静かに口を開いた。 「・・・・・・意外か?」 「・・・えぇ、とても」 まさかシューズを履いていなかったから、という理由ではあるまい。 スピット・ファイアはの足下を一瞬見やってまた視線を戻した。 やはりが履いているのはただの靴だ。Gメンのように何かを仕込んでいる様子も無い。 それなのに。 (・・・・・・あんな走りをするなんて) まるで夢を見ているようだった。背筋を流れたのは間違いなく高揚と興奮、そして畏怖による汗。 エア・トレックも無しに自由に、思うがままに走り、風となって街を駈ける。それは重力に支配さ れたこの場所において、普通の身体能力で出来る事では無い。だというのに、彼は、この人は。 スピット・ファイアは忘れていた。有頂天になっていたと言ってもいい。最初に抱いたはずの感情 を見失っていた。初めて彼を見た時、自分が彼に抱いたものは何だったのか。 あの時はまだ、彼はエア・トレックを履いていた。 だが今はどうだ。彼はそんなものが無くとも同等に駈ける事が出来るのだ。それを意味する事が何 であるのか、答えを明確にするのがひどく恐ろしく感じる。知ってはいけない、暴いてはいけない 領域に踏み込んでいる錯覚さえ覚えるのに、それを盗み見てしまった罪悪感が、まるで自分が咎人 になった気分にさせてひどく落ち着かない。 今にも足下が崩れ落ちてしまいそうで怖い。それなのに何が自分を支えてくれるのかさえも分から ない。自分が今どこに立っているのか、それともいないのか。 自分の今が、本当の事なのかさえ―――・・・。 「鳥の巣立ちを見た事があるか」 「・・・、・・・・・・、・・・・・・え?」 再び全身を駆け巡った戦慄に気を取られていたスピット・ファイアは、かけられた言葉に一瞬気付 かずにポカンとを見返した。 反応がない事を訝しく思ったのか、彼の眉間に皺が寄る。 それをほとんど機械的に処理した頭が、一拍後に急速回転した。だが一部は麻痺したままだ。それ どころか事態のマズさを理解してしまったが故に逆に反応が鈍くなった。 それでもスピット・ファイアは何とか体裁を整え、慌てて首と両手を横に振る。 「い、いや、失礼しました。巣立ちですよね? 勿論、見た事くらいはありますよ」 顔は何とか笑顔を取り繕ってはいるが、盛大に引きつりまくっている、なんて言われなくとも自覚 している。さぞみっともないだろう。でもしょうがないじゃないか今更どうしろっていうんだ。 誰に言い訳しているのか内心でどこの誰とも分からない何かに向かって釈明する。 現実逃避と言うなかれ。目を逸らしているだけで逃げてなんかいない。多分。 いやそうじゃなく、今考えるべき事は自分の動揺ではなくて。 段々とループし始める思考にスピット・ファイアは強制的に思考を止めた。 そして今一度彼の言葉を反芻し、それ以外の情報を自分の中から除外する。 ・・・よし、もう大丈夫だ。 「なら、それを一から十まで手助けする親鳥を見た事があるか」 「―――・・・」 油断していた所に思わぬ事を言われ、再び停止しそうになった思考を無理矢理引っつかんで記憶を 辿る。さっきから脳内はUターンと急激な切り返しと方向転換を重ねたせいで飽和状態だ。 鳥が一羽きりで生き、巣立つ為にはまず飛ぶ事を覚えなくてはならない。 さらにそこから餌の取り方やら何やらと覚える事はあるのだが、それら全てを世話されては子はそ こから成長する事は決して無い。それでは、手出しする何かがいなければ子は生き延びる事さえ出 来なくなる。 「・・・・・・いいえ。ありません」 この結論が果たして彼の求めるものと同意だったかは分からない。 だが自分の価値観に正直にそう答えれば、彼はひとつ頷いた。 「それと同じだ」 「・・・、・・・成る程」 が何を言いたいのかが分かって、スピット・ファイアは静かな心地で風を浴びる。 愛育は結構だが、いきすぎるとそれは害にしかならない。 たとえ見ている方が辛くとも、子が成長する為には突き放す事も必要なのだ。 過剰な干渉は愛情ではない。ただの依存だ。 「・・・・・・なんて、な」 「、え?」 もっともだと言おうとしていたスピット・ファイアは、出鼻を挫かれてきょとんと瞬きした。意外 な言葉が聞こえてきた所為もある。聞き間違いだろうかと凝視すれば、苦く笑った顔が見返してき た。初めて見るその弱気な様子に驚いて息を呑む。同時に別の場所に立っている別の自分が囁いた。 彼はこんなにも人間らしい人だっただろうか。 「偉そうな事を言っておいて、俺は結局逃げ口上を並べてるだけだ。見放した事に変わりはない」 「そんな事は・・・ッ!」 「いい。俺が一番良く知ってる」 「・・・・・・っ」 卑怯だな、俺は。 小さく呟く声に違う、と大声で否定したかった。 それが出来なかったのは、そうする事を彼が拒絶しているからに他ならない。また、そうする事で 彼を追い詰めるだけだと知ったスピット・ファイアは、己の無力さに歯噛みする。 卑怯だ、最低だと彼は言う。それは俺の弱さだと誰よりも自分を責めながら、その分傷付いている 彼を目の前にして、スピット・ファイアはただそれを聞く事しか出来なかった。 きっとこれが自分に与えられた役割なのだと納得しようとしても、無駄だった。出来なかった。 だってそんなのちっとも嬉しくない。何かしたいのに何も出来ないだなんて。 ただ傍にいるだけでも意味はある、なんて言われても彼に対しては例外だ。自分が彼に何か出来る なんておこがましいとは思うけれど、身の程を知らないともつくづく思うけれども、ダメだった。 (・・・彼は、そんなにも大切なのですか) そうでなければ、貴方はそんなに苦しそうな顔をしないでしょう。それなのに何故、そうやって自 らを追い詰めるのですか。 確かに貴方が彼に手を貸さなかったのも、結果的に彼が傷付いた事も事実です。 ですが、貴方の選択が正しかったのか間違っていたかを決めるのは今では無いでしょう。これから どうするかが問題なのであって、それは彼にしか決められない事なのです。 なのに貴方は責めるのですね。どんな思いであれ、彼を見捨てた事に変わりは無いと言って悔いる のですね。それがイッキ君を思い遣った、貴方の情の深さ故の行動だったとしても。 「・・・彼は、このままで終わる子供では無いのでしょう?」 僕は何の為に、今こうして貴方の隣にいるのか、今でも分かりません。 ですがそれに何らかの意味があるのなら、僕も僕も思うまま、貴方を支えたい。 たとえそれが貴方にとって何の役に立たなくとも、僕の自己満足に過ぎなくとも。 自分の中に芽吹いてしまった妬心に気付かないふりをして、さも理解を示したといいたげな態度で 上っ面だけの笑みを浮かべる。 あぁ、気付きたくなんてなかったな。 どうせ貴方は他の人間だったらきっと立ち去ってしまうのに、彼にはそうしたくないと思って、そ してその事を悔いている。彼は貴方の事なんて知りもしないでしょうに。 「・・・だったら彼は、大丈夫ですよ」 下宿先には心強い女性陣もいらっしゃる事ですし。 そうおどけて言えば、苦くはあったが微かな笑みが返ってきた。そして今はもう見えなくなった子 鴉と少年の背を追うように、遠くへ目を向ける。 スピット・ファイアは居たたまれなくなって「失礼、」とだけ言い残しそこから姿を消した。 自分の思い描いていた人物像がゆらりと揺らめき、亀裂が入る。自分の中にあった虚像の『彼』が ひび割れ、人間らしさを秘めた彼へと変化する。 それが分かっていたから、スピット・ファイアはそれ以上ひび割れが広がらないように歯止めを掛 けた。 今は見たくない。 認められそうにない。 それが誰よりも自分の勝手によるものだと知っている。 それでも。 「・・・・・・まいったな」 今しばらくは、持て余した感情と決着をつけられそうもない。 -------------------------- スピ視点とその後って感じで。タイトルの真は「まこと」と読みますがまぁどうでもいいっすね← あ、BLじゃないっすよ。上のお兄ちゃんを下の弟にとられた感じの板挟み苦労性次男って感じ。 もしくは新入りに気を向ける飼い主に苛立つ先住ネコ。 でも彼は大人なのであたりに八つ当たりしないで押さえ込むのです。 不憫キャラになりそうな予感。 あれだ、恋しちゃいけない相手に恋した乙女の心的な。 ・・・私はスピさんをどんな人間にしたいんだろうか。 (10/07/27)