冥夜の審問 空視点


(あ~、・・・暇や・・・・・・) 消灯時間も過ぎ、看護師の見回りを難なくやり過ごした武内空は、静まりかえった病院の廊下へ続 く扉をそっと開いてキョロキョロと周囲を見渡し、そして誰もいない事が分かると、音も立てずに 夜の闇に紛れて病室を抜け出した。 ベッドから車いすに移乗するには、通常なら介助者の手が必要になる。しかし、彼にかかれば鍛え 抜いたその上半身の力のみで難なく己の体重を支える事も出来れば、院内を猛スピードで駆け回り、 女性のスカートをめくりまくってセクハラ三昧する事もお手の物だった。とんでもない患者である。 色々な意味で規格外の事をしでかすこの男は、反省も殊勝な態度も一切見せず、むしろ機嫌よさそ うに今日の成果を振り返り、思考を泳がせた。 (今日も絶好調やったなぁ。しっかし、あんな純粋そうな娘があんなん履いとるとは・・・・・・さすがの ワイも予想外っちゅーか・・・カワイイ顔して結構過激やねんな、最近の若いコっちゅーモンは) したり顔でうんうんと頷く様は、セクハラ親父のそれである。だが、幸か不幸か、夜の闇に影を落 とした病院の廊下ではその顔を目撃する者は一人としていない。 本日の収穫一つ一つに評価を下しつつ、やって来たのは屋上だ。勿論鍵なんてモノは買収済みであ る。誰からどのように、とは推して知るべし。 手慣れた仕草で解錠し、扉を開く。そうしていつもの定位置へ身体ごと視線を向けた時―――、 見知らぬ男がそこにいた。 (誰や?) いつものように開いた扉の先には、いつもとは少し違う光景。 一瞬の警戒が空の思考をよぎる。 夜なので暗くてあまり見えないが、それでも月明かりでそれが男のシルエットを浮かび上がらせて 余計に警戒心を煽る。 こちらに背を向けているため、何をしているのか、何を見ているかなど当然空には知る由もない。 しかし、男の足下にあるモノが、空の気を尖らせる要因となった。 ―――エア・トレック。 空にとってそれは見慣れた物のはずだった。 しかし、小さな違和感を感じ取った空は本能のままに足を止めた。 周囲が暗いせいもあろうが、そのあまりの眩しい白の輝きに空は目を細める。視覚的に感じた眩し さ故にではなく、感覚的な、本能で察知する類の得体の知れない何かに対する警戒。 まるでエア・トレック自体が光で構成されているかのようにも見えるのは、単なる目の錯覚か。そ れとも別の理由からか。 しかし、目に映るそれは、本当に神聖さを感じさせるには十分な――― そこまで考えて、空はハッと我に返り首を振る。 馬鹿馬鹿しい。単に月明かりに反射して、そう見えるだけだ。 気後れした事実から目を反らすように、皮肉げに顔を歪めて口端を吊り上げる。 あの白い輝きが、まるで他の存在を追い払うように見えるなんて。馬鹿馬鹿しい。 それではまるで、無遠慮に神へ近付こうとした罪を見咎められ、あっさりと神の使いによってあし らわれた愚者のようではないか。ならばさしずめ神とはあの男か。成る程、神とは優秀な番人を側 に置いているらしい。 らしくない自分を無理矢理振り払うように、空は意識的に笑みを作る。 一拍後に前に向き直った空は、既にいつもの調子を取り戻していた。 エア・トレック云々は置いておいて、こんな時間にこんな場所で一人佇む男が気になるのも確かな 事だ。見た所、迷ってここにいるという訳でもなさそうだし、元より退屈してここに来た自分にと ってはいい暇潰しになる予感がする。 このエリアで今夜バトルが行われるという情報も無い事もあり、空はここに残る事を決めた。 万が一、この男が自分に害を及ぼそうとしても、凌げる自身が空にはある。 車椅子を使う人間相手に油断し、返り討ちに遭う事など考えもしない3流ライダーは言うまでも無 く敵では無いし、そうでなくとも反撃できるだけの実力が自分には備わっている、と空は自負して いる。それに病院の屋上で騒ぎが起きれば警備の人間が駆けつけてくる。出来ればそれは避けたい 事態ではあるが、最終手段として使うには有効だ。それまでの間相手をするだけの技量は持ってい る自信はあるし、後はどうとでもなる。問題は無い。 さて、後に残るのは単純な好奇心だけである。この男はここに何の用事でああやって立っているの だろうか。 「何しとるん?」 空の声が宵闇に響く。 しかし、男は空の声が聞こえているのかいないのか、相も変わらず直立不動のままである。 当然、空がその反応を面白いと思うはずもなく、沈黙がその場を支配する。 (・・・・・・おいコラ) ピキ、と青筋がうっすらと浮かぶのを自覚しつつ、空はさらに言葉を重ねた。 これで振り向かなかったらサツでも何でも呼ぶと脅してやる、と心に秘めて。 「なぁ、聞いとる? 自分そこで何してん?」 ひっそりと物騒な事を思った空の思考を男が察知したのかどうかは知らないが、二言目にして男が ようやく振り向いた。やはり月明かりを背にしているせいか、その輪郭をはっきりと目にする事は 出来ないが、反応があっただけ良しとしよう。 「お、やっとこっち見よったな。なんや、勿体ぶってつれないやないか」 内側では極悪な表情で折角の脅しが、とブツブツ文句を言っているその顔で、空はにっこりと努め て爽やかに笑った。 出し惜しみしおってからに、焦らしプレイとちゃうんやぞこらぁ。 そうやって毒づいていても、空は警戒の一部を崩さないまま男を見据える。相手の初動にいつでも 対応出来るようにだ。別に怪我を負わされようがそれは相手の過失として世間一般で成立する話だ ろうが、そうすると病室を抜け出した事がバレてしまう。それは少々面倒だ。ただでさえ問題児扱 いされているというのに、ヘタをすれば病室に監禁されてしまう。それこそ、日々セクハラ被害に 遭っている看護師連中はここぞとばかりに結託して空の行動を制限しにかかるだろう。それでは面 白くない。 さて、どう出るか。 その一瞬を図っていた空は、しかし男が振り向いた瞬間にその余裕を失う事になる。 スッと目を細めた男の視線が空を貫く。 動作を取れば、たったそれだけ。 何の感情も浮かべていないような、しかし激情を宿しているような、ただの視線というにはあまり にも特殊過ぎるその目。 本能がむき出しになった人間の目を見る事に、空は慣れていた。 それなりの場数と経験を積み、それを受け止め、見返す事にも慣れていた。 だが、男の目は今まで遭遇してきたそれらとは全く異なっている。 前者が闘志を全開で露出させ、気迫と殺意を叩き付けてくるものだとすれば、後者は明らかに実力 の劣るものを相手に諦観する獣のそれ。 実力が拮抗しているからこそ生まれる闘争心と覇気が欠片も見受けられない、実力差も理解せずた だ抗い、無駄に抵抗する様を無感動に見つめている。そんな目だ。 ひどく傲慢なそれは、しかし決して油断をしている訳ではない。 穏やかというには鋭すぎるそれに、空は内心の動揺を押し殺して努めて平静に振る舞うしかなかっ た。相手の出方が読めない。そんな事は初めてで、空は困惑する頭で急いで打開策を模索する。 久しく忘れていたスリルに手の平が汗ばんでいるのが分かった。 バトルの真っ最中でもないのに、頭の中はもう次の行動を分析している。 「そんな睨まんでもええやんか。怪しいモンとちゃうで?」 「・・・・・・・・・その風体で、か?」 何を馬鹿げた事を、と言いたげに男は僅かに口の端を歪めてやや鋭さを強めた目で空に問う。 それに呑み込まれそうになった空は、冗談じゃないと抵抗した。 馬鹿な。何を負けそうになっている。会ったばかりのこんな男に、何故、自分が。 「ん? あぁ、この格好は当然や。自分、入院患者やねん。だからここにおっても不思議やない」 そうだろう? と男と同じように視線で問えば、男はより一層目を細めて空を見据えた。 だが言及する気が無いのか、それ以上の追求は訪れない。 正体の知れない相手だというのは互いに同じ。そう考えれば、男の反応は至極真っ当な対応だと言 えた。多少ムカつくが、まぁ初対面でそれほど親しい相手ではないのだから、これくらいが妥当だ ろう。 のろりくらりとした自分のスタイルが男にとっては心の琴線に触れるものではなかったのか、話は これで終わりだとばかりに男はさっさとこの場を離れようとフェンスから手を離した。 普通ならそのまま病院の屋上から地面まで真っ逆さま、コンクリート直撃コースであったが、その 心配は男の足にあるエア・トレックが打ち消してくれる。おそらく男は、あのまま壁伝いに下へ降 りるか何かしてここを去るつもりなのだろう。 だが、それでは空が面白くない。何より空の本能が立ち去る事を拒絶した。 ―――このまま見逃すんじゃない。 「ちょお、待ちぃ」 「・・・・・・何だ」 まだ何か用か、と言いたげな男に、空は明るい笑顔を作る。 元より逃がす気も無い。さらに言えば、タダで逃がすつもりもない。この場においては空の方が有 利だ。患者という立場がそれを可能にしている。ここで空が騒げば、夜中に抜け出していた事を咎 められはするだろうが、少なくとも空が警察に突き出されるような展開にはならない。だが男は明 らかに不法侵入。それも屋上に忍び込むなど、疑ってくれと言わんばかりの胡散臭さだ。 まぁ、誰かがここに駆けつける前に男が姿を消せば騒がれはしないだろうが、空は月明かりの下、 男の顔を見ている。それではこの場が凌げても男の不利は覆せない。男を通報するもしないも、全 ては空に掛かっている。よって、空の言葉は男にとって軽く扱うべきものではなくなっていた。 それを盾にして、空は自分の要求を突きつける。 「なんや一人でおるっちゅーのも寂しいやんか。良ければ話し相手になってくれへん?」 男は空の意図に気付いたのか、ちらりと視線を寄越して空を見据えた。 時間にして数秒。 だがここで問答をしても面倒だと思ったのか、男は仕方ないという風にフェンスに背を預けた。 一見大人しく聞きの姿勢に入っているようだが、くだらない用事なら聞かないとばかりにだるそう にしている。 話し相手になって欲しい、という言葉などハナから信じていないのだろう。男は空の意図が別にあ ると、明らかに気付いている態度だ。 回りくどい空の言い回しに付き合う義理は無いとばかりに、男はさも面倒そうに口を開いた。 「・・・・・・それで、空は何がしたいんだ」 「まぁまぁ、急ぐとええ事ないでー? ま、一番の理由は暇やったからっちゅーのもあるんやけど、  ・・・・・・あんさん、ライダーやろ? こんな所まで登ってくるなんて、随分とすごいんやなぁ思て  声かけたくなったんや」 「・・・・・普通に登っただけだ」 嘘こけ。 空は内心で反論した。 まずは当たり障りのない会話で少しでも男の警戒心を解こうと思っていたのだが、男はダラダラと 話を引き延ばされるのが嫌いなタチらしく、少しずつ威圧感が増している。 さっさと本題に入った方が良さそうだと判断し、空は殊更に人好きのする笑みで口を開いた。 「なぁ、あんさんはどっかのチームに入っとるんか?」 「・・・・・・いや。どこにも所属していない」 意外とすんなり答えられた事に空は拍子抜けして一瞬言葉を失った。 ・・・・・・何というか、あけすけ過ぎやしないだろうか。 何かたくらんでいるのか? いや、それにしては男はさっさと終わらせたいというオーラをだだ漏れにしている。 ・・・・・・アカン。また調子狂ってきよった・・・・・・。平常心や平常心。深呼吸深呼吸。 「・・・・・へぇ。意外やな。なら、これからチーム作るん?」 「作るつもりも所属するつもりも一切ない」 「・・・・・・、えらい勿体ないのぉ。あんさん、天辺目指そ思うとるんとちゃうん?」 またもや意外な答えが返ってきた事に、今度は戸惑いではなく、何故か不満が感情を支配した。 チームを作る事も所属する事も良しとしないなら、何故力を持て余すような真似をする。 何故それを使おうとしない。どうしてそれを活かそうとしないのか。 チームがどうこうというよりも、男がそれ以上を望まない態度に苛立ちが増す。 空の心に暗い感情がふつふつと沸き立ち、憎悪にも似た感情が滲み出る。 ・・・・・・そうしたら、いいように利用してやるものを。 「ライダーなら誰しもが思うとるやろ。誰よりもこん空のいっちゃん高い所。ライダーとして最高  の高みやんか。あんさんはそういうの、思った事あらへんの?」 空は男の競争心を刺激するように言葉を重ねた。 踏み台としてこの男を利用する事に、空は何の躊躇いも感じなかった。 何より、あんな目をする事が出来るくせに、決して関わろうとしないその姿勢にむかっ腹が立った。 だが、まるで男はてんで興味無いとばかりにフッと小さく笑う。 「頂上とはどこにある?」 馬鹿にするように、答えを求める幼子のように、男は嘲笑うかの如き口調と顔で空に問いかけた。 衝撃を受けたのは空である。 ―――まさか、気付かれて、いる? 己の計画に。自分たちの目的に。今のエア・トレックを取り巻く状況に。 ライダーたちの間では、高みとはすなわち何を指すかなど、もはや常識である。 だが男は心底分からないという口調で尋ねてくるのだ。 ―――お前たちが求める天上とは、いずこにありや? さぁ、答えろと男は目で促してくる。 だが言葉は喉につかえて中々出てこない。何を聞かれているのかも最早分からず、口は勝手に動い てしまった。 「・・・・どこって、そりゃ、・・・・・・空の果て、やろ」 ほとんど反射に近い。そしてそれが有り触れた答えだった事に、言葉を発した後に気付いた。 それをからかうように、男は再度問いかけてくる。 「果てとはどこにある?」 「・・・・・・、・・・・・・・・・・・・」 なにも、言えなかった。だが男からの追求は無い。 ・・・言われなくても、分かっとるっちゅー事かいな。 確信的な笑みと質問の中身を考えれば、言葉の真意は自ずと知れる。 ・・・・・・えぇ性格しとるやないか。 お前達の言う『高み』とは、所詮お前達が作り出した基準に過ぎない。 その枠組みの中にある『高み』が『最高』などと、一体どこの誰が決めた。 そんな箱庭の栄誉など、欲しくもないし興味も無い。 恐らくそんな所だろう。男が抱く感情は。そうでなければ執拗にあんな問いかけを寄越したりはし ない。そして額面通りの意味で高みとは何を指すのか聞いている訳ではない。 気付いている。知っている。この男は、おそらく全てを承知している。 ・・・・・・危険だ。 空は男をそう断定した。放置する訳にも見過ごす訳にもいかない。 だが、如何せん排除するには色々と都合が悪かった。今ここで騒ぎを起こす訳にもいかない。まだ 時期ではない。どうする。 空が必死に思考を巡らせていると、ふいに男がフェンスから身を離した。 「そろそろ、病室に戻った方がいいんじゃないのか?」 ・・・・・・この野郎。 その言葉の意味を、空は正確に読み取った。 見逃されたのだ、自分は。・・・いや、取るに足らない存在だと、そう判断されたのだ。 この男は空たちの計画に気付いている。ならばここで空を再起不能にすれば、計画の阻止とまでは いかずとも影響を及ぼす事は出来るのだ。 しかし男は闘志も無く説得する様子も無く、実に淡々とそんな事を口にする。 それはつまり、自分たちは歯牙に掛けるも及ばない存在であると認識されているからに他ならない。 もはや口八丁で男をこちらに引きずり込むのは困難だった。 危険因子は残しておけない。だが、今この男に割く人員はない。かといってここで深く踏みいれば、 恐らくタダでは済まない。 病室に戻れと言ったのは決して自分を鑑みての言葉じゃない。 向かってくるなら容赦はしないと言外に告げているのだ。 分かっていて突っ込んでくるような馬鹿ではないだろう、と男は目を細めてこちらを見ている。 「・・・・・・、行くんか?」 見逃しても良いのか。 苦し紛れにそんな言葉を吐いてみても、男の醸し出す雰囲気に乱れは無い。 まるで高みから有象無象がひしめく様を見物する神祇の如く、男はうっすらと微笑み頷いた。 「ああ」 それはいっそ慈悲の神がうっとりと殺戮の現場を見つめているかのような、実に楽しげな笑み。 楽しませてくれ。箱庭の世界でどこまで飛べるのか見せてくれ。 ・・・・・・お前たちの高みとやらを、教えてくれ。 男は目で雄弁に語ると、するりと音もなくその場から消えた。 ホイールの摩擦音さえも聞こえない、静かな足取りで。 残されたのは『せいぜい足掻け』と残酷なまでに優しく囁かれた空と、男の余韻すら残さない静寂 のみで。 「・・・・・・くそっ!」 苛立ちを紛らわすべく悪態を付いても、それが男の耳に届く事は無かった。 「・・・・・・いつか見とれよ」 ギラギラと双眸を剣呑なものにして空は唸った。 いつか見ていろ。 絶対に、その高みから引きずり下ろしてやる。 ――――その時は・・・・・・ そんな空の姿を、月だけが見ていた。 -------------------------- てな訳で空には嫉妬にも似た敵意を持たれました。もう一つの目標みたいな。 同時に認めさせたい思いも空にはあります。本人無自覚ですが。 一緒に歩みたいのがスピット、憧憬がシムカ、尊敬がイッキ、忠誠がグルナード。 んで夢主を支配したいと思うのが空かもしれません。 室長? ・・・・・・空とかぶるけど征服ですかね。蹂躙とか私物とか独占とか。 ・・・・・・空と室長がタッグ組んだらおっそろしい事になりそうですね・・・。 そして名前変換が一つもないという。あれ? (09/05/06)