一部の界隈じゃ有名な話が一つある。
それは金次第でどんな依頼も引き受けるという男の話だ。おまけに達成度は完璧を誇るらしい。
しかしその男は突然現れた時と同じように、突然姿を消した。
クソったれ、何も俺が用ある時に消えてンじゃねぇよ。
眉間に皺が寄った。子供が見れば泣き出すこと確実な形相だったが、幸いな事に海人は車の中にい
た。それもまるで戦車のように改造した車だ、中を見るにはよじ登るしか無いだろう。
イライラと壁を蹴り付ける。
この俺の手を煩わせるたぁ、随分といい度胸じゃねぇか。
海人が機嫌を悪くするのも無理はない。男は全ての遣り取りをネット上で行い、男が姿を消したと
同時にそのアドレスさえ消えていたのだ。
手がかりといえば、男が今まで接触してきた依頼人、及びそれに関わった人物だけ。
だがしかし、こちらは国家権力を使いたい放題だ。情報は脅してもぶん取るのが当たり前。
海人はくゆらせていた煙草を口に咥え、にやりと笑った。
車内で煙草の煙が満ちていく中、目を細めて車外の一点を見る。
ビンゴ。
視線の先には、手元の写真と同じ顔の男がいた。
室長視点
そもそも亜紀人が風邪なんぞ引かなければ、こんな面倒事にはなっていない。後で躾だ。俺に許可
なく勝手に風邪なんぞ引いてんじゃねェ。
ちらりと後部座席・・・・・というよりは空間に目をやる。だがそこに亜紀人の姿は無い。こっちだっ
て暇では無いのだ、一日で回復して使い物にならないと亜紀人には存在価値がない。そう言い捨て
て病院に放り込んだのが1時間前。
そう、何もこんな時に使えなくなるとは計算外もいいところだった。
今日はAクラス同士のバトルがあるらしく、それを機に一斉検挙に乗り出す手はずになっていた。
それが土壇場で戦力ダウン。上が下した命令は『別の即戦力になりそうな相手を探せ』。
テメェらでやれ。
思ったが、いや、実際そう言ったが、この状態ではそれも通じない。海人はいなければいなくて
構わないと思っていた。別に亜紀人・・・・・正確には咢だが、いなければいないでも別に良い。
そうでなくとも海人は、どんな手段を使おうとも全員を地に沈めてやる気満々だった。
気が削がれて苛立ちを覚える。何でわざわざそんな面倒な事をしなければならないのか。
そうそう使えるヤツがいる訳がない。
捜索を部下に押し付けて、まぁ見つからなければそれはそれで鬱憤を晴らす対象が増えるだけだか
ら、海人にとってはそっちの方が好都合だった。
この苛立ちは散々にいたぶり尽くす事で晴らさせてもらおう。今から楽しみだ。
ところが、提出された候補者の中の一人に、海人は興味を引かれた。
チームも無ければバトルもやらない。なのに実力は特Aクラス。経歴不明、正体不明、唯一分かっ
ているのは、それが男だという情報のみ。
普段ならこんな報告書、巫山戯るなの一言でボコって捨てて終わりだろう。だが考えたのは別の事
だった。
チームも何も無いってンなら、俺様の犬には丁度いい。
手駒が亜紀人だけでは、今日のような事態に面倒事を引き起こさなくて済むだろう。幸いな事に男
は何でも屋。その出没は極めて稀らしいが、海人の鰐島の血はこんな所で発揮された。
喰らいついてやる。
海人の目が獰猛なそれへと変貌した瞬間だった。
裏の情報は裏に聞く方が目的に近付きやすい。
男はそんな言葉を嗤うように足取りを掴ませなかったが、ひょんな事から尻尾を掴んだ。
依頼者の老婦人からのお茶の誘いに応じ、なんと顔をさらしたらしいのだ。老婦人の敷地内には至
る所に監視カメラがあったというのに、それをまるで気にも掛けず堂々としていたらしい。あまつ
さえ「随分とご立派なお住まいですね。私もこんな所で暮らしてみたいですよ」と皮肉まで言った
という。明らかに監視カメラと老婦人の思惑に気付いていての発言。
なかなかに自分好みの性格をしている。
ますます手に入れたい衝動が強くなり、海人は口端を吊り上げた。そういう輩を屈服させ、プライ
ドの高い相手を引きずり堕としてやる事の愉しさを海人は心得ていた。
こんな男が警察官とは、世も末である。
やがて海人は興味をなくしたように手元の写真をそこらに放り、車を降りた。向かう先は勿論、報
告書にあった男のところだ。
さて、どう罠に誘い込んでやろうか。
にやりと凶悪に微笑みながら、海人は目的の元へと足を進めた。
「お前が何でも屋か?」
背後に海人がいる事になどとっくに気付いているであろう男は、それでも何事もなかったようにパ
ソコンに向かっていた。それに若干の苛立ちを覚える。
頭に銃口を突きつけてやろうかと思った瞬間、何かを察知したのか男は振り返った。チッ。
「・・・・・・いきなり何ですか」
口調は穏やかだ。顔も笑っている。ただ、雰囲気だけがそうではなかった。
鰐に喰らい付くってか。イイ度胸だ。
男はまるで言葉遊びを楽しむように海人に言葉を促した。この様子では海人がどんな用事で目の前
に立っているのか分かっているのだろう。
男ごしにパソコンの画面を見れば、既に画面は男とは結びつきそうもない料理の画像が並んでいた。
さっきパソコンに向かっていた時に、素早く変更したのだろう。だがその窓の後ろには、明らかに
男本来の使用していた窓が重なっている。
気にはなったが、今は男を引きずっていくのが先だ。予定の時間が近付いている。
「あぁ? 分かれよこのノロマ。依頼だ、依頼。見て分かンだろ愚図」
だが男の遊びに海人は乗った。別に多少は遅れたって構うまい。
すると男はまるで哀れむように顔を歪め、海人から視線を外した。
「・・・・・こんな所まで。天下のマル風は随分とお暇なようですね」
明らかな挑発。減らず口を、と思ったところで、またもやそれを察知したのか男はにこりと笑って
口を開いた。
「・・・・・・大方の予想は付きますけど、一応聞きます。依頼内容は?」
何から何まで俺様をおちょくるつもりか。
会話の主導権をこちらに握らせない話術に、海人は面白くない思いを感じていた。
いや、これも狩りの醍醐味だ。海人はそう思い直し、逆に機嫌を向上させた。この余裕そうな態度
がいつ崩れ、その時この男はどんな顔をしてどんな絶望を抱くのか。考えただけでゾクゾクする。
きっと、愉しいに違いない。
海人はその様を思い浮かべて笑みを堪えきれなかった。目を合わせる。すると男も逸らす事なくそ
れをそのまま返してきた。こういう遣り取りには慣れているのだろう。恐らく今までにも俺様のよ
うな奴に会ってきたに違いない。
けれど男は相当の場数を踏んでいる。かわす手段も心得ているのだろう。油断すれば、喰われるの
はこちらの方か。
「決まってるだろ。鼠の生け捕りだ」
言った途端、男は眉を下げてあっさりと視線を外した。
雑魚か。
そう考えているのが丸わかりだった。一応Aクラス相手なんだがな。告げようとして、まるでその
タイミングを見計らったかのように携帯が騒ぎ出す。
「あぁ? 何だよ」
大方、検挙を始めたはいいが数が多くて手が回らないだとかヌかしやがるんだろう。
予想は大当たりで、携帯越しに雑音が聞こえてくる。
遅いだと? 俺様が行く前に始めるお前等が悪い。
「あぁ? だぁから今から行こうと・・・・・・ハァ? 何ちんたらしてんだ揃いも揃って役立たず共が。
死ね。・・・うるせェな、とっつかまえりゃ済む事だろーが。逃がしたら承知しねぇぞ」
問答無用で携帯を仕舞う。こっちは大事な狩りの真っ最中だってのに、とんだ邪魔が入った。思わ
ず悪態が口から出ていく。
「チッ、お前がちんたらしてる所為で始まっちまってるじゃねぇかこの馬鹿」
振り向けば、男の雰囲気が変わっている事に気付く。
・・・・・・・・・!
ぞわりとした何かが体中を這い回った。
マル風が悪戦苦闘しているのが、今の会話から読み取れたのだろう。そこから相手がそこそこ楽し
める程度の実力を持っていると判断したのか、何かのスイッチが入ったようだ。
海老で鯛を釣る・・・・・・・・鯛どころか、それ以上のものと対峙しているのだと、海人はようやく気が
付いた。まだ、男は本気を出してはいない。戦闘前の準備段階といった所か。それでこの程度だと
したら。
これで、本気を出したらどうなる?
海人は純粋に、この男がバトルする姿を見たいと思った。
すぐに首を振ってその考えを打ち消してしまったが。
依頼を了承したと判断して、俺は一言「来い」と命令を下した。
すると男はひょいと肩を竦めてパソコンを強制終了させ、席を立つ。そのまま男を車に乗せた時に
気が付く。
男はエア・トレックを持っていない。
「そういや、お前エア・トレックはどうした?」
足下を見れば、それは普通の靴だ。マル風のようなシューズを使用している訳ではないのだろう。
何かを潜めているのなら、見ればすぐにそうと知れる。
「相手は暴風族だぜ? まぁ、取りに行きたいとかヌかしても却下だがな」
意地悪く笑ってやる。
男は何を考えているのか分からない目で俺を見た。さっきの震撼を覚えるほどの目ではない。だが
その奥に何かが燻っている。その中に確かに燃え上がる何かを感じる。それが全面的に解放されて
しまえば、周りにあるもの全てを焼き尽くすであろう、苛烈で隙のないもの。
・・・・・・・・・人間が持つ目じゃねぇな。
「言っとくが貸さないぜ?」
不要だとは思うが。その言葉は呑み込む。すると案の定、男はやはり何も言わずに前を見据えた。
依頼を達成できなければそれは男の責任で、言い訳など聞くつもりはさらさら無い。
無理ならば付いてこなければ良かったのだ。けれど男は依頼を了承し、ここにいる。狩りは至って
順調だ。
遜色を告げても平然としている男は、相変わらず黙ったまま。表情が変化するなど一切見られない。
人形にしては目に宿すものが大きすぎる。
人間にしては語る術を持たなさすぎる。
アンバランスさ故に完成された一つの芸術の形摸すような男。捉え所がない。だからこそ、面白い。
依頼をやり遂げるも良し、やり遂げないも良し。
どちらに転んでも俺様に損はない。
だんだんと見えてきた今回の狩り場に目を細める。横にいる獲物を狩る為の餌に過ぎない連中は、
ハナから眼中にない。
揶揄するように笑う。
「おーおー、派手にやってンな」
さて、エア・トレックが無い状態で、男はどういった行動に出るのか。
それも楽しみの一つだと笑いながら、海人はただ愉悦に顔を歪ませる。
「・・・あれを取り押さえろと?」
「簡単だろ?」
はぁ、と男の溜息が聞こえる。
見ただけで実力を判断したのか、明らかに落胆の雰囲気を醸し出し、気だるそうに前を見ていた。
こんな茶番はとっとと終わらせるに限る。
一瞬だけ見えた男の目は、全くやる気のないものだった。
けれど海人はその目以上に驚くものを目にして身を固める。
男は、靴のまま、エア・トレックを履いている状態と変わらない速度で駆けていく!
馬鹿な。
海人は目を疑った。人間があれほどの動き、出来るはずもない!
だが現実は確かにその有り得ない事を具現化させていた。シューズを履いている時と同様・・・・いや、
それ以上のスピードだ。
あっという間に7人を蹴落とした男は、自分も地面に着地すると辺りを見渡した。その余裕そうな
態度に海人は気付く。
さっきの走りも、今の一撃も、まるで本気では無いという事に。
男の視線が海人に注がれた。
こんな感じでよろしいですか?
依頼人を見る目で男が伺う。遊んでんじゃねぇ。本気を出しやがれ。
だが言う前に男はバトルに戻ってしまい、結局口に出す事は出来なかった。男が視線を寄越した時
に首を振らなかった為、是と受け取ったのだろう。
間違いではないが、意を汲み取るのが優れすぎている。
海人は小さく息を吐いた。こんなチンケな舞台じゃ、奴の本気はいくら待っても見れない。
「ご苦労だったな」
戻ってきた男に声を掛ける。男が持つ全力は見れず仕舞いだったが、収穫はあった。靴のみであれ
だけの動きを見せた男。これでシューズの機能をプラスしたら、どれほどのものが生まれるか。
そこまで考えて海人はハッとした。考えが昔に戻っている。
今は、警官でマル風だ。あの時の俺様じゃねぇ。
「・・・・・大した事はしてませんよ」
海人は考えていた事を無理矢理押し込めた。
大した事、か。海人は内心で反芻する。
そう、当初の目的はこの男の捕獲だ。依頼自体は上手く達成されてしまった訳だが、どうとでもな
る。
海人は男に見えない所でひやりとする感触を確かめた。
亜紀人を閉じこめる檻の試作品が、こんな所で役に立つとはな。
首と腰、そして手首を拘束する為の枷。この男が厄介なのは先程のバトルで良く分かった。やるな
ら男が完全に油断している時。
ふと、男が他所へ視線を向けた。
―――注意がそれた今なら、やれる。
海人が拘束具を男へ向けて放った瞬間。
―――ガッ!!
枷はその勢いをなくして弾け飛んだ。
男が無造作に払った腕。それにより枷は目標物を見失い、役目を果たさなかった。自分のタイミン
グは間違っていなかったはずだ。男もこちらを見ていなかった。
いともあっさり防がれたそれに、しばし呆然とする。
やがて男はゆらりと海人に視線を向けた。その動きに目を奪われていると、右腕が左の袖口に触れ
ているのが分かる。そこに光を鋭く反射するものを見つけて、海人はハッとした。
―――・・・・ナイフを隠し持っていたのか。
しかも仕込みナイフ。
海人はそれを見てようやく男がエア・トレックを持ってきていない事に納得がいった。男は最初か
ら、こういう時の為に備えていたのだ。
いや、それこそが男の目論見だろう。
報告書にあった一文を思い出しながら海人は思う。
一部の界隈で有名な男。
それは裏でも、そしてライダーとしての表の顔でも同じ。
裏は表に出る事もあれば、表が裏へと顔を出す事もある。男はそれを良く理解している。なぜなら
男自身がそうであるからだ。
“風姿無き翅翼”である男。“何でも屋”でもある男。
男が顔を隠さない事にも、今になって合点がいく。
表だろうと裏だろうと、この男を倒した、あるいは上をいったという事実を成せば、当然その者の
株は上がる。それも大幅に。
そう考える連中が出てくるのは当然の事だった。
それは男が有名になればなるほど、噂になればなるほど。
その有名が一部で限定されれば尚の事だった。巧みに姿を消し、足取りも掴ませないこの男を捜し
当て、かつ凌駕したとなれば。
おそらく老婦人の件で顔を出したのは、このための布石だったのだ。
出回る自分の写真、映像に気付かない訳がない。そうしてまんまと罠にはまった欲深く無謀な連中
は、悉くこの男に返り討ちにされたのだろう。
ライダーでもそうでない者も、エア・トレックの機能、恐ろしさを知っている。
世間ではさんざん騒がれている問題の代物なのだ。バトルでも時折死者が出るといわれているのだ
から、その厄介さは十分に理解しているはずだ。
だが、もしそれが標的の手に無かったら?
武器らしい武器もなく、無防備な状態でいるとしたら?
これ以上の好機は無い。誰もがそう考えるはずだ。そして燻り続けていた思いが爆発する。
やるなら、今しかないと。
それこそが、彼の張った蜘蛛の巣だと知らずに。
男の目は嗤っている。もう終わりか? とでも言うように。
じっと見詰めてくるその目から、逃げる事が出来ない。何もかも分かっていて、この男は。
バサ、と鳥の羽ばたく音が聞こえる。
見遣ると何かが男に向かって飛んできていた。何事かと眉を潜めれば、男から声が発せられる。
「・・・グルナード」
男に視線を戻せば、男は自然とその腕を鳥に向かって差し出した。鳥の方も躊躇いなくそこへ降り
立つ。
海人はその鳥が何であるかを見て取り、息を止めた。
形からして鷹だろう、だが・・・・・・あまりに、大きすぎる。
けれど男はそれを難なく支えている。腕を特別な布で巻き付かせている訳でもないのに、至って平
然としていた。爪が食い込んでいるはずだ。なのにそれを全く歯牙にも掛けていない。
・・・・・・・・・化け物か、こいつは。
目尻を吊り上げれば、鷹が視線を寄越してきた。ギラついた目が海人を捉える。
・・・・・・・・・たかだか鳥の分際で、俺様を威嚇しようってのか。
睨み付けてやれば、鳥はますます威嚇の姿勢を強めてしまいには鳴き出した。
・・・・・・この鳥、焼き鳥にしてやろうか!
海人がいきり立った時、男はそっと鷹の羽を撫でた。すると先程までの騒ぎっぷりが嘘であったか
のように途端に鷹は大人しくなった。男の指に懐いてじゃれついている。
だが時々向けられる目には、敵意が満々だった。
海人と鷹は互いに睨み合う。
思う事はお互い同じだった。
いつか、殺る。
「おい」
「はい?」
鷹に意識を向けていた男を呼ぶと、鷹はさらに剣呑な雰囲気になった。だが鳴いたりはしない。
さきほど男に止められた手前、手出しが出来ないのだろう。ざまぁみろ。
海人は持っていた封筒を男に向けて投げた。
「報酬だ。まぁまぁ使えたし、本当は踏み倒そうかと思ったんだが」
これは事実だ。使えなければ俺様から金をふんだくろうなんざ刑務所送りにしてやる。
「・・・・・気が変わった。また雇ってやるから有り難く思えよ」
これも本当。
思わぬ真実を垣間見て動揺したのは確かだが、それでも諦めた訳ではない。
それでこそ、俺様の獲物に相応しい。
「安心しろ。今度はもっと上等なヤツとヤらせてやるからよ」
狩るのはそれからでも遅くはない。
それにこいつは、泳がせていた方がまだまだ面白いものを見せてくれそうだ。
だから、今はまだ。
「じゃあな」
誰もいなくなった狩り場に風が吹く。
これから、楽しくなりそうだ。
---------------------------------
海人さん深読みしすぎです―――!!
全力で戦ってましたよ夢主は! 手を抜いてた訳では決して・・・・っ!
獲物とか犬とか言ってますが、BL的な意味では無いです。純粋なサドッ気です。
ナイフとか、見間違いですよ室長(笑)確かに金属製の腕時計だったけど!
夢主に利用価値を色々と見出しているようですが、明らかに過剰な期待です室長・・・。
(08/03/16)