傍観side


それは、「どうやら風姿無き翅翼は比較的夜に現れるらしい」という情報が真実味を帯びた事を確 信させる出来事だった。 「ほら、だから言っただろう?」 スピット・ファイアは得意そうに微笑む。 眼下には、噂の君がエア・トレックを身に付けて疾走する様子が窺える。普段ならばもっと霞のよ うにしか捉えられない彼の姿が、今日は全体像が視認できるほどクッキリと見れた。 「別にお前が発見した訳じゃないだろ」 そう言って反論するのは、鵺の声だ。スピット・ファイアは苦笑して彼に視線をやる。 何だかんだ言って、彼もかのライダーに興味を持っているらしい。スピット・ファイアに文句を言 いつつも、彼の意識は噂のライダーに集中している。 「まぁ、幸運だったっつー事に関しては同意見だけど」 確かに。 スピット・ファイアは内心で頷く。 こうして自分が彼を追いかけているにも関わらず、こういった会話をする余裕すらある事態は初め てだった。 それもそのはず。風姿無き翅翼―――の腕には、一人の少女が抱えられていた。 そして彼の後ろには、大勢のライダーたち。何があったかは大体の予想が付く。 「でもよ、普段のアイツならこれくらい楽に撒けんだろ?」 「ああ。間違いなくね」 「なら何で今はあんなトロい走りなんだ?」 「・・・・・・さて、ね」 見てれば分かるよ。 そう言ってスピット・ファイアは笑みを口に浮かべた。鵺はフン、と鼻を鳴らして口を閉ざす。 それきり会話を打ち切る鵺を目に捉えてから、スピット・ファイアはふと真剣な顔つきになった。 見てれば分かる。 彼がいつになく荒れた走りをしている事に。 そして、いつになく彼が怒りを露わにしている事に。 スピット・ファイアはちらりとを見た。 いくら彼に荷物が増えているからといっても、その走りは相変わらず洗練されたもの。 おそらく彼の後を追いかけるライダーたちは気付いていまい。 が、だんだんと走るスピードを速めている事に。 (まったく、彼を怒らせるなんて愚かな人たちだ) 呆れた目で視線を彼の後ろへずらす。 彼の怒りは非情に分かりにくいほど微少なものだったが、それは彼が怒りを抑えているからで、本 来ならこの程度のものでは無いはずだ。 大方あの少女に乱暴しようとした所を彼に乱入されたのだろうが、それにしたって愚かだ。 ―――彼が、わざわざ人気のない方向へ向かっている事になど、微塵も思っていないのだろう。 「・・・・・・ん?」 スピット・ファイアは見知った姿を視界に捉えて意識をそこへ移した。 自分と鵺以外の・・・・・あぁ、それと愚かにも彼を追いかけているライダーたちとも別の・・・・・ライダ ーが近くにいる。 あれは。 「―――シムカ?」 ガシュ、といつになくどこか必死な様子さえ見せている彼女の顔に、些か瞑目する。 けれど表情は輝いており、その視線は時折前方、多くはに注がれている。 成る程、どうやら彼女も彼を追いかけていたらしい。もちろん、愚者とは違う理由で。 そして。 「―――おやおや」 いつの間にか自分たちの他に、複数のライダーの姿がある事に気付いた。その中の一人がちらりと こちらに目をやる。ゴーグル越しでもそれはしっかりと届いた。 ・・・“眠れる森”までおでましかい。 苦笑するが、気持ちは分かるので薄く微笑むに留めた。 一方、“眠れる森”のメンバーはいつになく息が上がるのを感じながら疾走していた。息が苦しい 訳では無いが、多少いつもより呼吸が荒い。 「・・・・へぇ、これが“風姿無き翅翼”の力って訳かい?」 「ううん・・・・・・きっと、まだ本気じゃないよ、ミカン姉」 「ウメもそう思うです」 その証拠に、彼は時折後ろを見ながら走っている。余裕が無い者にはそんな事をしていられないで あろう。彼には追いかけられる者としての恐怖や焦りは何もない。それは自分たちにも十分伝わっ てくる。 それに。 林檎は横目で少し遠くを走るスピット・ファイアを見た。 彼のあの楽しそうな顔。聞けば彼は“風姿無き翅翼”と共に走った事があるらしい。 成る程、それならばあのライダーのモチベーションも力も分かっているのだろう。その彼があんな 涼しい顔をしているのだから、“風姿無き翅翼”は余裕たっぷりなのも伺える。 「でもよぉ、あいつ、ただ走ってるだけじゃねぇか」 つまんねぇ。 ミカンはぼやいて足に力を込めた。苛立ちの混じった音が彼女の足下から生じる。 「・・・・・・そうだけど」 それはわざとなんじゃないか。 そう思ったが理由は、根拠は、と聞かれると答えに詰まるので、結局口を閉ざす。 彼は一体何を狙っているのだろうか。 その思惑は、まだ分からない。 やがて追いかける方も痺れを切らしたのか、何人かが懐に手を伸ばした。 スピット・ファイアはそれを見咎めて眉をしかめる。何をする気だ。何やら嫌な予感が脳裏を過ぎ る。そしてそれは正しい事をすぐに知った。 「―――!」 エアガン。それも恐らく、改造銃だ。 卑怯な。 スピット・ファイアは自然と眉間に皺が寄った。タチが悪ければ実弾すら撃てるように改造してあ る可能性もある。嫌な予感は的中し、ライダーたちはそれを彼の背に向けて一斉に撃った。 危ないッ! 咄嗟に声を上げようとしたが、その警告が無用のものだったと知る。 彼は撃たれた瞬間すぐに上へ飛び、被弾したら上から叩くつもりだったであろう別のライダーを足 で蹴り上げ、いともあっさりと倒した。 信じられない。人一人を抱えた状態でああも動けるなんて。 スピット・ファイアは感嘆の息を漏らした。恐らく平時ならばあの蹴る動きも見えなかっただろう。 そこに彼なりに多少思う事があったようで、若干眉を潜めて憮然とした雰囲気が漂う。 蹴られたライダーはその直後も意識があったようだから、威力不足に不満を覚えたのだろう。 だが、それにしたって恐ろしい。たった一発入れられただけで微かな呻き声しか出せないならば、 本来だったらどういう結果になっていたのか。 ・・・・・・想像しただけで、背筋が凍る。 「・・・・・・。」 隣の鵺からも似たような溜息が落ちる。 安心と同時にやはり彼はすごいな、と思った瞬間だった。心配は無用だったか、と安堵しつつも、 垣間見てしまった彼の戦闘能力に驚かされて心臓が逸る。 (落ち着け) スピット・ファイアが自分を戒めた瞬間だった。 「―――ッ!!」 ものすごいプレッシャーがスピット・ファイアを襲う。 いや、それは自分だけではない。鵺も、シムカも、恐らく“眠れる森”も同じく感じているはずだ。 彼から発せられる、このいいようもない圧迫感。 瞬時に体が強張り、軸がぶれた。ホイールが戸惑うように音を鳴らす。冷や汗が流れ、ひくりと喉 が痙攣する。 ぎくりと固まったせいで速度が落ちるが、スピット・ファイアがを見失う事は無かった。 彼が上を目指して走っていったからである。 行き着いた先は、絶妙なバランスを保ちながら何とかその高さを維持している崩れかけた鉄筋の網。 もとは廃墟だった建物が崩れ、壁は剥がれ落ちて骨組みだけが残っている。だがその骨組みさえ今 にも音を立てて崩れ落ちそうだ。普通なら誰もそこに近付かない。 けれど彼は違った。巧みにエア・トレックを使って軽やかに駆けていく。 やがて比較的人が腰を落ち着けていられそうな場所に着くと、彼は腕に抱えていた少女を降ろした。 そして何事かを告げると、すぐさま下へ降りる。その様さえ華麗だったが、ふとスピット・ファイ アは残された少女に目をやった。 ・・・・・・あぁ、やはり。 少女は多少ぎこちない様子だったが、その顔をほんのりと赤らめて目はひたすら彼を追っている。 先程の会話が何だったのか知る由もないが、あの反応が示すのは一つだけであろう。 さん、あなた一体何をあの少女に告げたのですか。 思わず聞いてみたくなった。ちなみに今後の参考に、などと考えてはいない。断じてない。 ・・・・・・いや、少しだけ思った事もないが。 いや、それより今は彼だ。 あのプレッシャーは、未だ冷める様子を見せぬまま。 降り立ったの周りにライダーが群がる。 すごいな。その勇気というか無謀というか、度胸だけは褒めてあげるよ。 けれどやはり、愚かだ。 スピット・ファイアもまた彼と同じく足を止め、息を殺してその様子を見守っていた。 「・・・・・・なぁ、アレが本当に、さっきまでただ走ってただけの奴か?」 まるで別人だぞ、と鵺が呟く。 別人。 それはスピット・ファイアも同感の感想だった。一度彼と邂逅した時、彼はこんなにも苛烈な態度 をとってはいなかった。存在感はすごかったけれど、こんなに怒気を孕んだ空気を放つのは初めて 目にする。 ごくり、と喉が鳴った。それは鵺のものか、それとも自分のものか。 考える前に、空気が揺れる。 「―――!!」 一瞬、何が起こったのか分からなかった。 彼のプレッシャーに恐怖すら感じていた自分には、まるで一種のイリュージョンを目にしたかのよ うだ。 バタバタと、人が倒れていく。鮮やかなまでに白い軌跡さえ残さないまま。 「―――ヒッ!?」 短い悲鳴が聞こえてきた。 そこでやっと消えていたの姿を目にする。 いや、消えていたのではない。見えなかったのだ。あまりにも速すぎて。 恐怖に染まった声に、無慈悲な問いが返る。 「どこへ行く?」 ぞっとした。 その声はまるで、そう、まるで死の世界が自分を呼んでいるかのような。 いつまでも耳に残るその音に、自分が今どこにいるのかすら忘れる。圧倒的な、目に見えない恐怖。 その場から逃げようとしていたライダーたちが次々と腰を抜かして地面に舞い戻る。ホイールの回 転も止まり、エア・トレックも沈黙した。 その場にいる誰もが、彼に逆らう術を持てない。 「どうした? 逃げないのか?」 おかしそうに彼は嗤った。 くつくつと、本当に面白そうに喉を鳴らして。 だがその目は笑っていない。楽しい色を浮かべていない。 「どうした? 地べたに這い蹲らずに、言いたい事があるなら言えばいい」 彼の視線がちらりと動く。彼の視界に入った者は、一様に身を震わせ、ある者は気を失い、ある者 は涙を流して歯を鳴らしていた。誰も、動けない。彼の目に映っていない自分でさえも、時が止ま ってしまった。唯一動いているのは、もはやのみ。 「・・・・・・お前が、リーダーか」 やがてその彼の視線が、一人の男へ向けられ、固定された。 神前裁判のようだ。 スピット・ファイアはふとそんな事を思い、まるで自分が傍聴人であるかのような錯覚に陥った。 神自身が自ら罪人を暴き、裁いている。 彼はやがてゆっくりとリーダーと思われる男に近付いていった。 音もなく。ただひたすらに、焦らすようにゆっくりと歩いていく。エア・トレックで滑らかに近付 いていくのとは違い、一歩ずつ、確実に距離が縮まるのを焼き付けるかのように。 男はそんなから少しでも離れようともがく。 ―――往生際が悪いなと、揶揄できそうも無い。 地面を引っ掻くだけで一向に進まない体を持て余し、完全に彼に囚われている男に少しの同情を禁 じ得ない。哀れだ。自業自得とはいえ、スピット・ファイアはそう思った。 そして彼は男の目を覗き込むようにして身を屈ませ、低い声で言った。 「・・・・忠告だ。二度とあの子と俺の前に姿を見せるな。もう一度、誰に対してもあんな事してみろ。  ―――その身に後悔を刻みつけてやる」 「―――ッッ!!!!」 もはや判決は下った。 彼らは許されざる罪を犯したのだ。彼の逆鱗に触れる、という禁断の咎。 2度目は無い、という慈悲は一見情けであってもそうでは無い。 風と空の加護を失ったライダーに待ち受けているものは、少し考えなくてもすぐ分かる。 ―――忘れるな。 その声はいつまでも耳を離れなかった。 そしてもう用はない、とばかりに彼はその場を離れ、上に残してきた少女を再び腕の中に包んで今 度こそ姿を消した。 彼がいなくなってもすぐにその場は氷塊せず、凍り付いたまま。 「―――は、」 大きく乱れた息が漏れた。隣にいた鵺はがくりと力を失って崩れる。荒げた息が聞こえてきた。 「・・・・・・マジ、何者なんだよ、アイツは―――!」 カタカタと小さく震える手に力を込める。 未だかつてあんな存在に出会った事はない。あんなにも強烈な気配を、存在感を持つライダー、い や、人間など、一度として。 まみえた事を奇跡と言うべきか。逆に知らない方が幸いであったのか。 「・・・・・・僕も、あそこまで怒りを露わにした彼を見るのは初めてだよ」 「ハ、普段は違うって言うのかよ」 冗談きついぜ。 鵺はそう言って笑った。無理に笑ったせいか、喉から漏れるのは掠れた音だったけれど。 「―――ずるい」 「・・・・・・・・・・・・は?」 けれど突然乱入してきた声に、というよりはその言葉の内容に、鵺は間の抜けた声を出した。 今のは自分でも隣にいるスピット・ファイアのものでも無い。 「シムカ?」 呟けば彼女は憤慨した顔をして、不機嫌そうに頬を膨らませた。 「ずるいずるいずるい。あの子、ずるいよ」 「・・・・・・あの子って、あの女の子の事かい?」 「当たり前でしょ!」 いち早く硬直から解けたスピット・ファイアがシムカに尋ねる。 するとシムカはギロリと睨み付けながら肯定した。その無駄な迫力に鵺も一緒になってたじろぐ。 「だってあの人の腕に、あんな大事そうに抱えられるなんて! 私だってしてもらった事ないのに!」 ・・・え、いや、それは。え? 二人はぽかんと口を開いた。どうやらご立腹らしいシムカは、地団駄を踏みながら高らかに言う。 「私だってあの人に抱きしめて貰いたいのに―――! ずるいぃぃぃ!!」 シムカの叫びは、肝心のに届く事なく廃墟の森に吸い込まれて消えていった。 --------------------------- 実は夢主の気付かない所で周りは見物人だらけだったという裏話。 そして長くなる文章。あれー? 気付くと長くなってる不思議。あれー? シムカさんが何だか恋する乙女になってます。 きっと囁かれちゃった女の子に嫉妬したんです。最初がつれない出会いだったもんだから。 「だって羨ましすぎるじゃないっ!」 ・・・・・・いい思いさせてあげられなくてごめんよ、シムカ。 そして鵺とスピさんが一緒にいるのは、ご都合主義。(言い切った!) (08/03/14)