俺は基本的に、エア・トレックを使うのは夜だ。
だ、だって初心者の無様な姿とか恥ずかしい失敗とか、他人に見られたくないじゃん!?
例えるなら凍った道路で転んで周りに友達いなくて、でも他人だけはやたらといたりして視線が痛
いッ!! っていうような事になった時みたいな!
あーあー、やっちゃった、っていう目で見られて平常心でいられる程、俺の神経は太くないっ!
でも念には念を入れて服装は黒で統一。俺は黒子になるっ!
でも、気付いた。
エア・トレック事態が真っ白じゃ、逆に目立つじゃんッ!!
怒れる翼
致命的な欠陥に気付いた俺。
でもだからって昼間に顔をさらすのは嫌だ。ゴーグルで隠せても視界が悪くなってただでさえ
ヘタなのが更に情けない走りになるから。
俺の素顔を隠してくれるっていうのは魅力的なんだけど、その代わり俺の少ないステータスが更に
少なく・・・・・・。
え、だったらやめろって?
う、うるさいな。だってエア・トレックって、実際にやってみたら結構面白いんだよ。体重乗せた
だけで前に進めるんだぜ? ぶっちゃけ何もしなくても移動できるって事だぜ!?
ハイそこっ! 怠けてるとか言わない! 言ってなくても思わない!
悪いか!!
いやごめんなさい、開き直ってごめんなさい、だから今にも殺しそうな目はやめて下さい。
ナマ言ってスイマセンでした。
俺はつらつらとそんな事を考えながら、ホイールを回していた。
軽やかな音の後には、いつもならば静寂がそれを見送る。けれど今はその背後に別の音が迫ってい
た。前走するそれとは違う、ひどく荒々しい乱暴な音。ホイールすら削り、それが自らの走りすら
も削っている事に、微塵も気付いていない音。それが複数音追いかけてくる。
そう、俺は今、カーチェイスならぬエア・トレックチェイスの真っ最中だった。
うぅ、追いかけてくる人の目が、目が、怖いぃぃぃぃ!!!
あの殺気立った目ッ!! ハンター世界にいた時の闇の時代を思い出すッ!!
あれは泣く泣く裏社会の末端に仲間入りした時の事だ。
仲介人も紹介人も持たなかった俺は、選挙活動よろしく一人で宣伝活動兼飛び入り日雇い労働をし
いていた。まぁ中には非合法なモノもあったり無かったり・・・・・・。
し、仕方無いじゃんっ、生きてくってシビアで大変な事なんだよ!!
まぁ当然、俺一人でそううまい仕事の話が舞い込んでくるはずもない。でも食べてくには仕事をし
なくちゃいけないわけで。あんまり仕事を選ぶ、なんて贅沢な真似出来なかったんだよなぁ。
そしたら、あまりにも情けない俺を見かねたのか、俺に仕事の紹介をしてくれる人が現れた。
俺はその瞬間、別の意味で人生終わったと思った。
だだだ、だってその人滅茶苦茶怖ぇ顔してんだぜっ!?
人を見た目で判断しちゃいけませんって一度は聞く台詞だけどな、人相の悪さ、目付きの悪さ、
口の悪さ、態度の悪さ、一体何拍子揃ってるんだよっていう強面の男を目の前にしてみろ!
しかも容赦無いし・・・・・・。
中にはさ、俺なんかじゃ絶対対応しきれないようなものまであるわけよ、あの人が持ち込んでくる
仕事内容っていうか、依頼内容にはさ。
なのに、出来ねェとかヌかすンじゃねェだろうなアァン? とか、手ェ抜きやがったら承知し
ねェとか下から抉り込むような目で殺気立たれてみろ!
「Yes」としか言えねぇだろぉがぁあ!!!
後ろから追ってくる視線は、あの人には及ばないものの怖いものは怖い。
あの人の死んでも追いかけてきて殺しそうな目を連想させて怖い。
という訳で、俺は必死に逃げていた。
もちろん、日頃の逃げ足の速さには定評のある俺だ。普段ならこの程度、とっくに振り払っている。
けれど、それが出来ない理由があった。腕の中のその『理由』は、躊躇い気味の少し怯えが混ざっ
た声で俺を見上げた。
「あ、あの・・・・・・」
おずおずと、か細い声で囁くさまには庇護欲を掻き立てられる。男なら誰でも思うよな。しかもそ
れが可愛い女の子相手だと、尚更。
まぁ、今は俺が誰かに庇護してもらいたい感じなんだけどね。
それは置いといて。
「大丈夫」
俺は安心させるように出来るだけ穏やかに、優しく見えるように微笑んだ。内心の「誰か助けて」
コールは無理矢理奥に仕舞い込んで。
それだけだと足りないかな、と思い抱える腕に力を込めてみた。少しでも安心出来るだろ?
信じる者は救われるって言うだろ?
もしかしたら誰かが駆けつけてくれるかもしれないって思うだろ!?
俺のささやかな、けれど切実な願いも込めて気合いを入れる。
でも、ここは人通りも少なく、裏ルートで稼いだ俺は警察関係に近寄りたくなくて遠ざけていたせ
いもあって、俺が覚えているのはどこも鬱屈とした廃れた場所だ。
・・・・・・ついでに弱音も吐いていいかな。
ここ、ドコ?
恐怖のハンター世界闇時代を思い出していたおかげで、すっかり迷子。
でも走るスピードは緩めない。怖い。でも止まる方がよっぽど怖い!!
あぁもう、何だってこんな目に合わなきゃいけないんだっ!
俺は眉を潜め、舌打ちした。
お前等、そんな事して後でどんなに謝っても駄目なんだからな! 後悔するハメになるんだからな!
諸々の理不尽と怒りと恐怖とやるせなさと八つ当たり等々を込めて、ちらりと目だけを後ろにやっ
て睨み付ける。ちょっと涙目なのは見てないフリをして下サイ。
そしたら今まで追いかけるだけだった集団から数人が飛び出してきた。
え、ちょ、いくら「弱ぇヤツが生意気にガンつけてんじゃねぇぞコラァッ!」って思ったからって
気が短すぎだろッ!? ちょっとは寛容な心を持とうぜ!?
焦る俺をよそに、その数人はあきらかに攻撃の意志を見せ、俺に向かって突進してきた。
えー、俺の肉眼は故障しているのでしょうか?
何か、明らかに上級っぽい感じで、その、エンブレムらしきものが服にくっついてるような・・・・。
イヤァァァアアァァァアアァァァアアア!!!!!!!
あれは確実に上級者! 上級者の証だよ、うわ現実逃避したい・・・・。
咄嗟に俺はホイールにかける力の方向を変更して、上へ飛ぶ。
すぐ上には俺に襲いかかろうとしてたやつがいたけど、飛び上がった勢いのまま一回転し、かかと
を落とした。そのままその人を踏み台にして跳躍し、今度は回し蹴りで二人目撃沈。
すると何かが俺の服を引っ張った。
下を見ると、・・・・・・あぁぁゴメン! そりゃあ怖いよねいきなり襲いかかってこられたらっ!
「ごめん。少し、我慢して」
まだ追いかけてくる人たち、諦めてないみたいだからさ。きっとまだ終わらないと思うんだよね。
女の子にこんな思いをさせている事が心底申し訳なくて、もう一度「ごめん」と呟く。
そしたら女の子は、小刻みに震えてたけど、それでもふるふると首を横に振って大丈夫と言ってく
れた。
・・・・・・大丈夫じゃ、ないだろ。
俺はそれを見た途端、どうしようもない怒りが湧き上がってきた。さっきまで感じていた恐怖や不
安が俺の中から退き、取って代わるようにふつふつと憤りが広がっていく。
俺がいつものように道を走っていた時、目に女の子がライダーに囲まれている光景が映った。
明らかに怯え、抵抗する彼女をヤツらは下卑た笑みを浮かべて揶揄し、周囲はそれを煽っていた。
その抵抗さえ面白がり、恐怖に浮かぶ涙を嘲笑い、嫌がる彼女を有無を言わさず暴力で押さえ込む。
その様子を見て、俺は次の瞬間には行動を起こしていた。
瞬時に地面を蹴り、ライダーの間をすり抜けて女の子の所まで走り、かっさらうように膝裏と肩の
下あたりに腕を差し込んでその場から走り去った。
なぁ、男って何で女より体力も力もあるか知ってるか?
弱いやつを嬲るためか?
自分の力を誇示するためか?
・・・・・・違うだろ。
俺は怒りのままに残るライダーたちを睨み付けた。これであいつらの行動を煽る事になろうが、知
った事か。
一度高く飛んで簡単には辿り着けなさそうな場所に彼女を降ろす。
少しだけきょとんとした後、彼女は再び不安そうな目を向けてきた。その目にはまだ涙がうっすら
残っている。そしてそれ以上に、怯えと不安と恐れが。
・・・・・・あいつら、絶対に許さねぇ。
「すぐ終わらせる。・・・・少しだけ、待っててくれ」
君に、あいつらを近付けさせたりはしない。
彼女の目を真っ直ぐ見据えてから、すぐに下へ向かう。降り立った俺を囲むように、ライダーたち
は周囲を固めた。
どうして彼女がこんな目に合わなくてはならない。
「・・・あの時潰してしまえば良かったな」
「・・・・・・あぁ?」
俺はぽそりと呟いた。それを聞きとがめたライダーの一人が怪訝そうに声を出す。
あの時、彼女を連れ出した時、こいつらを倒してしまえば良かった。
そうしたらあの子は今の恐怖を感じずに済んだかもしれない。あの時だけで終わりに出来たかもし
れない。
追いかけられるまでの状況に追い込んでしまったのは、俺だ。俺にはその責任がある。だから。
「まとめて始末してやる」
傑作じゃないか、あの子をあれ以上泣かせたくないと思っていた俺こそが、今もあの子を泣かせて
いる原因なんだぜ? まったく、滑稽もいいところだ。
「っははははは! おい、聞いたかァ? こいつ、この人数相手に勝つ気でいるらしいぜぇ?」
「へぇ~、たかだかマグレで二人倒したからって、調子に乗ってンじゃ~ん?」
「ギャハハハハハ!! バカだ、バカがここにいるぜ!!」
「ははははっ!! おい、誰か教えてやれよ、このバカで世間知らずの野郎にさァ!」
「知らないってならかわいそーな事だよなぁ。俺たち、Aクラスの」
彼らが言葉を発したのは、それが最後だった。
―――ガッ!!!
「ぐぅっ!?」
高笑いしていたライダーが、一人吹っ飛ぶ。
何の前触れもなく彼がそうなった事に、周囲は何が起きたのか全く理解出来なかった。
「ガッ!?」
「ぐふっ」
続けざまに苦悶の声があちこちで響く。右に左に、短い断末魔を残して倒れていくライダーたち。
彼らの目には、仲間がひとりでに昏倒したようにしか見えなかった。見えない何かが自分たちを襲
っている。
「―――ヒッ!?」
何人かのライダーは、それを目にして恐れを抱いたのか、エア・トレックを走らせた。
けれど、見えざる刃はその逃走を許さない。
「どこへ行く?」
その声を聞いた者は、全員が背筋を震わせた。走っていたはずの足にはもう力が入らない。為す術
も無く無様に倒れ込み、地面に尻をつく。
そこでようやく彼らは理解した。仲間を次々に倒していったのは一瞬前まで自分たちの前に立ちふ
さがっていた男である事を。そして、自分たちはどんな存在の逆鱗に触れてしまったかという事を。
「どうした? 逃げないのか?」
何人かはその声を聞いただけで気を失った。あまりの恐怖と、この威圧感の前で正気を保つ事など
到底不可能だった。ある者は「ぁ・・・・あ・・・・・・」と涙を流して目を見開いている。
「どうした? 地べたに這い蹲らずに、言いたい事があるなら言えばいい」
―――さっきまで、そうしていただろう?
目の前に立つのは悠然と微笑む男。けれどその微笑は凍えるように冷たい。まるで奈落の底を見て
いるかのようだ。呑み込まれて、どこに光があるのかも分からない。
その彼の視線が、ゆっくりと周囲を見渡す。誰もが思った。
あれは、人殺しの目でも、死神の目でもない。
―――死、そのものだ。
「・・・・・・お前が、リーダーか」
その視線がぴたりと一人に定まった。見据えられた男はびくりと震える。足が無意識に動き、地面
を引っ掻いたが、無意味な行動だ。その視線からは逃れられない。
は男に近付いた。普通なら靴擦れの音がするはずなのに、彼は歩いても無音。
エア・トレックを履いていてわざわざ歩いて進むのは、恐怖を煽るためか。
男は動けない。
やがてが男の前で立ち止まり、腰を屈めると、その瞳を覗き込んで言った。
「・・・・忠告だ。二度とあの子と俺の前に姿を見せるな。もう一度、誰に対してもあんな事してみろ。
―――その身に後悔を刻みつけてやる」
「―――ッッ!!!!」
男は限界まで目を見開き、とうとう恐怖のあまり失禁した。
それを煩わしそうに一瞥して、は立ち上がる。
「2度目は無い」
―――忘れるな。
それだけ静かに言い放ち、かすかに白の残像を残して、恐怖を与えた男はその場から姿を消した。
(08/03/05)