速度制限のない道路標識
音もなく痕跡も無く、そのライダーは空を駆けた。
変幻自在に道を見出し、寸分の狂いもなくそれは正しく道となる。たとえ本来なら道と成り得ない
ような所であっても、彼が駆ければそこは道となった。
しかし彼が通り抜けた道を誰かが通ろうとしても、それは既に道ではなく、途端に表情を変えて牙
を向ける。まるで彼以外を通す事を拒むかのように。
彼に通れない場所は無い。そう、まるで風のように。
気付けば目の前にあり、気付いた時にはあっという間に通り過ぎていく彼は、いつしかこう呼ばれ
るようになった。
実体のないファントム、風のマジシャン、見えざる翼。
―――“風姿無き翅翼”、と。
おー、さっすが初心者用。
は身も軽く気ままに街を駆けていた。
昼となく夜となく、取り敢えず障害物があればそれを乗り超えていく。
ハンターの世界で身体能力が常人以上になった俺は、ホイールが回転するエア・トレックでどこま
で早くなれるのかを、半ば遊び半分で試していた。
ひたすら気配を隠す修行を特化していたせいか、足下から音は一切発生しない。
裏のルートを使ってちょっと稼ぎすぎた俺は、余った時間をエア・トレックに費やしていた。
おかげで周辺の地形や地理はばっちり把握している。
暇すぎるにも程があるだろうって? ほ、ほっといてくれ!
今日も今日とて、月明かりが淡く街中を照らすなか、ゴーグルも何も付けず、ただエア・トレック
だけを身に付けただけの姿では走る。
屋根から屋根へ、木から木へ、電柱から電柱へ、足場にまるで頓着せずに目的地も無く走り抜けて
行く。傍目には一陣の風が通りすぎたようにしか認識できない。
漫画見た限りだと、夜にこんなモン付けて走ってたら暴風族に喧嘩売られると思ってたんだけどな。
まぁ、そんな頻繁に遭遇するハズも無いか。
俺にとっては都合いいんだけどな、こう、何もないと返って逆に、反動が怖いというか・・・・・・。
ヤベ、怖くなってきた。ちょ、ちょっと高い場所に行こうかな。目立たない所、どこだーっ!?
自分で想像した事にブルリと震える。
一度その考えに囚われるとますます恐怖心が膨れ上がり、走る速度が増す。
やがて高層ビルに辿り着き、はすぐさま屋上へ向かった。
こ、ここなら誰にも見つかるまい。
はめ込まれた窓の付近にある僅かな出っ張りを足場にすいすいと上を目指す。
あぁ、断崖絶壁で修行した頃を思い出すな。あの時も確かこんな風に自力で天辺まで来いとか言わ
れて素手で登った記憶が・・・・・・、思い出したくもない。うぅ、あれはもう悪夢だ。
屋上の縁に着いた途端、上へ上がる力を打ち消してピタリと止まる。漫画にあるように屋上を跳び
超えて空中に躍り出るなんて事はない。
さらにその上、避雷針の上に足を落ち着ける。
あぁ、針山地獄に裸足で落とされた記憶が浮かぶ。よく生きてたよ、俺。
「こんにちは」
一人遠い目をして回想していると、どこからか声が聞こえてきた。
少しばかり現実から思考を投げ打っていた俺は、自然な流れで口を開く。
「いい夜だな」
「・・・・えぇ、本当に。まるで月の女神が祝福を与えて下さっているようだ。そう思いませんか?」
・・・・・・あれ、俺いま誰と会話してんだ?
ようやく第三者の存在に気付いたは焦点を動かさずに気配を探る。
し、しまったぁ! あれだけ警戒してたのに気ィ抜いちまったァ!
え、何、コイツなんて言ったの? 『いい喧嘩日和ですね』って?
あぁ、そう。そりゃ確かに月明かりが出てれば獲物も見つけやすいよなぁ・・・。あれ、でも慣れて
る連中だったら明るくても暗くても関係ないのかな?
「どうだろうな」
思わず呟く。うーん、それも個人の力量によるのかな?
どう思う? と聞こうとして隣に人がいない事に気付く。
あ、そういや避雷針の上に立ってるんだっけ。そりゃ相手の顔も見えないはずだよ。
・・・友好的に話してくるって事は、害はなさそうだ。嫌な感じもしないし。
ハンター世界で鍛えられた危険人物察知能力はこんな所でも威力を発揮した。
うん、なら顔を見せないままなんて失礼だよな。俺、相手から見れば頭より上にいる位置だし。
そう思ったはス、と足を引いて避雷針から足を退け、宙に浮いた。
そのまま重力に従い、地面に足を着く。もちろん着地音などしない。
「・・・・・・噂通りですね。“風姿無き翅翼”は一切が無で出来ているかのようだ」
緊張したような顔が目に映る。
あれ、もしかしてこの人、スピット・ファイアじゃないか?
頭から爪先まで視線を辿らせて目を合わせる。
あぁ、やっぱりそうだ、この天然パーマは間違いない!
俺は嬉しくなってにこっと笑った。第一印象は大切だからな!
俺はアイドルを前にしたかのように浮かれた。いやだって、いくら漫画の世界にいるとはいえ、こ
んな何度も登場キャラに遭遇出来るなんて思わんだろ?
それに俺はあんまりこの人について知らない。どこら辺によく出没するのかとか、普段は何をして
る人なのかとか。まぁ主人公じゃないから詳しく設定が漫画に出ないのはしょうがないんだけどさ、
偶然とはいえ会えたらやっぱ嬉しいって思うだろ。
はひとしきり頷いた後、ある事に気が付いた。
ん? そういえばスピット・ファイアは俺の事知ってんのかな? ていうか、さっきの口振りだとま
るで俺の事を言ってるみたいだったんだけど。
何だっけ、えっと・・・・・・静かな希少種? なんのこっちゃ。分からん。
やべ、登場キャラに縦続きに会えた嬉しさで話まったく聞いてなかった。ご、ごめんなさい。
こういう時はあれだな、素直に聞くのが一番だ。
「俺を知ってるのか? スピット・ファイア」
「えぇ、ライダーの間で知らない人間はいないんではないでしょうか。有名ですからね。その姿を
捉える事は誰にも出来ず、かの背を追ってはならない。さもなくば逆鱗に触れ、愚か者は二度と
空を飛ぶ事叶わぬだろう、と」
え、俺、けなされてる?
はひくりと眉を動かした。
誰の目にも留まらないくらい遅いから、走り抜けるライダーの視界に捉えきれなくて、それで愚か
者って・・・・・・ひどいっ、差別だ! 俺はこれでもひっそり練習してんだぞー!?
・・・・・・出来はまぁ、アレだけど。
「知りもしないくせに随分な言いようだな」
ぽそりと呟く。
ビル風が激しいから相手に絶対聞こえないという確信を持っての言葉だ。・・・・じゃなきゃこんな事
俺が言えるはずないだろっ!?
あーっ、何か悔しい! そのうち絶対見返してやるからな!
「目で見ようとするから見えない。俺はすぐ近くにいる。ただ誰も隣にいないだけだ」
初心者の主張!
弱っちいヤツは弱いなりに頑張ってるんだぞー!
・・・・・・あれ、何かこの言い回しだと、俺、友達が一人もいない寂しいヤツ?
「・・・・・・あなたは」
「・・・誰もが過ぎる道なのにな」
ふ、ふーんだ。どうせ俺は寂しいヤツだよ。チームになれる程友達がいる訳でもないし知り合いが
いる訳でもないよ。悪かったな! 俺だって好きで一人に甘んじてる訳じゃないやい!
ちょっと黄昏れてみた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
えぇい、俺はこんな独り身の寂しさを再確認したかった訳じゃない!
よし、気分転換だ。丁度いい事に道連れ(と書いて用心棒と読む)もいる事だしな!
「少し、付き合わないか?」
でもやっぱり『一緒に行こう!』と気安くは言えないので、あくまでお誘い。
どこまで行ってもチキン人生だな、俺・・・。
案の定、スピット・ファイアは驚いた顔で俺を見詰めている。
え、こんな初心者と? と言いたげだな、オイ、ちょっとは隠してくれ! 傷つくから!
「あなたと?」
「嫌ならいい」
でもこの後お時間があるのなら・・・・・・って、どこのナンパ野郎だよ、俺。
「嫌な訳がありませんよ。しかし、ご一緒するのが僕で良いんですか?」
それはむしろ俺の台詞だと思う。
朝日が地平線から顔を出した。夜明けだ。
「じゃあな、スピット・ファイア」
「ええ。今日は楽しかったです」
スピット・ファイアはそう言って爽やかに笑った。
初心者とこんな時間まで走らされてたっていうのに、うぅ、なんていい人!
「“風姿無き翅翼”の名は伊達ではありませんでしたね。まだまだ僕は未熟だと思い知らされまし
た。けれどこの数時間はとても楽しかったですよ。ありがとうございます」
言ってる意味はよく分かんなかったけど、礼まで言うなんて・・・・・・アンタ、どんだけ出来た人なん
だ!? これじゃ俺の立つ瀬がないじゃんか! ただでさえ立つ瀬ゼロなのに!
いかん、何か俺から返せるものは無いか・・・。あー! こういう時に限って何も思い浮かばねー!
「スピット・ファイア」
「はい?」
「俺の事はでいい」
「え?」
結局思いついたのは、名前を教える事だった。うぅ、この使えない頭が恨めしい・・・。
ありきたりとか言うな! しょうがないだろ! 他に何も浮かばなかったんだから!
「・・・・・・良いんですか?」
「構わない。俺もお前と走れて楽しめた」
いや、ホントに。
それにしてもやっぱスゴかったわ、この人。
俺が思いつきもしないようなトリックもばんばん決めて、さすがレガリアを持つ男だよなって関心
したよ。スゲーよなぁ。そんなヤツと一緒に走れたなんて、・・・・・・いつか、ファンに後ろから刺さ
れるんじゃなかろうか。いやいやいや、スピさんのファンに限ってまさかそんな。・・・まさか、そ
んな。
「僕なんかと走って・・・ですか?」
「ああ。誰かと走ったのは初めてだったが、新鮮で悪くなかった」
ちょっとばかり浮かれ、そして起こりえてもおかしくない恐怖に冷や汗を流していた俺は、うっか
りぽろりと言ってしまった。
や、やべ、俺さっき『俺、一人も一緒に走ってくれるような人がいなかったから・・・初めて別の誰か
と走れて嬉しかった』とかいうような事喋っちまった!?
嬉しさと恐ろしさで混乱してたから何言ったかいまいち覚えてねー!
気付いた時には後の祭り。
「そう・・・ですか」
あ――――――――!!! 呆れてる! これは呆れてる顔だ! しまったァァァ!!!!
俺は自分の口を恨めしく思った。取り繕う前に何やら納得されてしまった。
どうしよう、さっきまでは何を言ったか思い出さなきゃいけないと思ってたけど、今は逆に思い出
したら何かが終わってしまうような気がする。
ほらぁ、スピット・ファイアが下向いちゃった! きっと呆れ顔を俺に見せない為の配慮なんだろ
うけど、今はその優しさが痛いよ!
うぅ、俺、いま無性に穴があったら入りたい気分だ・・・・・・。でもここに穴なんてない。
くっ。こうなったら、逃げるが勝ち!!!
「それじゃあ、またな。スピット・ファイア!」
俺は素早く背を向けてスタートダッシュを切った。
居たたまれなさすぎてあれ以上あそこにいられない!
俺は挨拶もそこそこに情けなく逃げ帰ったのだった。
朝日が目に痛い。
あ。今日完徹だ。
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夢主の異名? の振り仮名が読みづらかった人へ解説。風姿無き翅翼(ふうし なき しよく)です
(08/02/12)